リヴァプールのラッセル男爵とは? わかりやすく解説

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リヴァプールのラッセル男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 03:11 UTC 版)

リヴァプールのラッセル男爵

紋章記述

Arms:Per saltire Sable and Or in chief an Estoile Argent two Roses in fess Gules barbed and seeded proper and in base a Thistle leaved and slipped of the second Crest:An Owl wings expanded Argent beaked and legged Or resting the dexter claw on an Estoile Azure Supporters:On either side an Owl Argent beaked and legged Or gorged with a Chaplet of Roses Gules leaved Vert
創設時期 1919年10月9日
創設者 ジョージ5世
貴族 連合王国貴族
初代 初代男爵エドワード・ラッセル英語版
現所有者 3代男爵サイモン・ラッセル英語版
相続人 エドワード・ラッセル閣下
相続資格 初代男爵の嫡出直系男子
付随称号 なし
現況 存続
モットー More Light

リヴァプールのラッセル男爵: Baron Russell of Liverpool)はイギリスの男爵貴族。庶民院議員エドワード・ラッセル英語版1919年に叙位されたことに始まる。

歴史

初代男爵エドワード・ラッセル

エドワード・ラッセル(1834-1920)は『リバプール・デイリー・ポスト紙英語版』の編集長を務めたのち政界進出して、グラスゴー・ブリッジトン選挙区英語版選出の庶民院議員に当選した[1][2]。その彼が1919年10月9日連合王国貴族としてランカスター王権伯領リヴァプールの,リヴァプールのラッセル男爵(Baron Russell of Liverpool, of Liverpool in the County Palatine of Lancaster)に叙されたことに始まる[1][2][3][4]。彼が叙爵翌年に亡くなると、息子に先立たれていたため孫にあたるエドワードが爵位を継いでいる[1][2]

2代男爵エドワード(1895-1981)第一次世界大戦に従軍したのち、戦後は作家及び歴史家としても活動した[1][5]。また、彼は第二次世界大戦後にその法曹資格からニュルンベルク裁判極東軍事裁判の英法務顧問の一員を務めた[4]。エドワードが1981年に没すると、彼もまた長男に先立たれていたことから、その孫のサイモンが爵位を継承した[1][4]

3代男爵サイモン(1952-)1999年貴族院法制定に伴って議席を喪失したものの、2014年に再選を果たしたためクロスベンチャーに属する世襲貴族貴族院議員として活動している[1][6]

彼が2020年現在のリヴァプールのラッセル男爵家現当主である。

リヴァプールのラッセル男爵(1919年)

  • 初代リヴァプールのラッセル男爵エドワード・リチャード・ラッセル英語版 (1834–1920)
    • リチャード・ヘンリー・ラングレー・ラッセル閣下 (1861–1899)
  • 第2代リヴァプールのラッセル男爵エドワード・フレデリック・ラングレー・ラッセル英語版 (1895–1981)
    • ラングレー・ゴードン・ハズリンデン・ラッセル閣下 (1922–1975)
  • 第3代リヴァプールのラッセル男爵サイモン・ゴードン・ジェアード・ラッセル英語版 (1952 - )

法定推定相続人は現当主の息子であるエドワード・チャールズ・スタンリー・ラッセル(1985 - )閣下。

脚注

  1. ^ a b c d e f Russell of Liverpool, Baron (UK, 1919)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年3月20日閲覧。
  2. ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 782. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  3. ^ No.31610”. The Gazette 21 October 1919. 2020年3月20日閲覧。
  4. ^ a b c Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 3445. ISBN 0-9711966-2-1 
  5. ^ "Russell, (Edward Frederick) Langley". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/31636 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ Lord Russell of Liverpool” (英語). Parliament of the United Kingdom. 2017年6月24日閲覧。

関連項目


リヴァプールのラッセル男爵(1919年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 17:00 UTC 版)

「リヴァプールのラッセル男爵」の記事における「リヴァプールのラッセル男爵(1919年)」の解説

初代リヴァプールのラッセル男爵エドワード・リチャード・ラッセル(英語版) (1834–1920)リチャード・ヘンリー・ラングレー・ラッセル閣下 (1861–1899) 第2代リヴァプールのラッセル男爵エドワード・フレデリック・ラングレー・ラッセル(英語版) (1895–1981)ラングレー・ゴードン・ハズリンデン・ラッセル閣下 (1922–1975) 第3代リヴァプールのラッセル男爵サイモン・ゴードン・ジェアード・ラッセル(英語版) (1952 - ) 法定推定相続人現当主の息子であるエドワード・チャールズ・スタンリー・ラッセル(1985 - )閣下

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