メモリ技術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 14:52 UTC 版)
「真空管式コンピュータ」の記事における「メモリ技術」の解説
初期のシステムでは、最終的に磁気コアメモリに落ち着くまでに、様々なメモリ技術が使用されていた。 1942年のアタナソフ&ベリー・コンピュータは、数値を2進数として回転する機械式ドラムに格納し、1回転ごとにこの「動的な」メモリを更新するための特別な回路を備えていた。戦時中のENIACは20個の数字を記憶することができたが、使用されていた真空管レジスタは高価すぎて、それ以上の数字を記憶できるような機械を構築することができなかった。もっと経済的なメモリが開発されるまでは、プログラム内蔵方式は実現不可能だった。 モーリス・ウィルクスは1947年にEDSACを開発したが、これは水銀遅延線メモリを搭載しており、それぞれ17ビットの32ワードを記憶することができた。遅延線メモリは本質的に直列に構成されていたため、マシンロジックも同様にビット直列になっていた。水銀遅延線メモリは、プレス・エッカートがEDVACやUNIVAC Iで使用していたもので、エッカートとジョン・モークリーは1953年に遅延線メモリの特許を取得した。遅延線のビットは、一定の速度で移動する媒体中の音波として記憶される。1951年のUNIVAC Iは、7つのメモリユニットを使用しており、それぞれが18列の水銀遅延線を含み、120ビットが格納できた。これにより、平均アクセス時間300マイクロ秒で、1000ワード(1ワードは12キャラクタ)のメモリが提供された。 ウィリアムス管は、世界初の真のランダムアクセス可能な記憶装置(ランダムアクセスメモリ)だった。ウィリアムス管は、陰極線管(CRT)上にドットのグリッドを表示し、各ドット上に静電気の電荷を発生させる。各ドットの位置の電荷は、ディスプレイのすぐ前にある薄い金属シートによって読み取られる。1946年にフレデリック・カーランド・ウィリアムスとトム・キルバーンがウィリアムス管の特許を申請した。ウィリアムス管は水銀遅延線よりもはるかに高速だったが、信頼性に問題があった。UNIVAC 1103は、それぞれ1024ビットの容量を持つ36個のウィリアムス管を使用し、全体で1024ワード(1ワードは36ビット)のランダムアクセスメモリを実現した。IBM 701のウィリアムス管メモリのアクセス時間は30マイクロ秒だった。 磁気ドラムメモリは、1932年にオーストリアのグスタフ・タウシェクによって発明された。磁気ドラムメモリは、強磁性の記録材料でコーティングされた、高速回転する大きな金属製のシリンダーで構成されていた。読み書きを行う一列の磁気ヘッドがドラムに付属していて、各ヘッドに対応してトラックが存在した。ドラムコントローラは適切なヘッドを選択し、ドラムを回転させてデータを読み書きした。IBM 650の磁気ドラムメモリは、1000から4000ワード(1ワードは10桁)で、平均アクセス時間は2.5ミリ秒だった。 磁気コアメモリは、1951年にアン・ワングが特許を取得した。フェライトコアに情報を記録し、中に通した電線で情報を読み書きした。各コアは1ビットを記録する。コアは2つの異なる方法(時計回りまたは反時計回り)で磁化することができ、コアに格納されているビットは、そのコアの磁化方向に応じて0か1かを表す。電線は、個々のコアを1または0に設定し、選択された電線を通して適切な電流パルスを送ることで磁化を変更することができる。磁気コアメモリは、それまでよりもはるかに高い信頼性に加え、ランダムアクセスと高速化を提供した。磁気コアメモリは、登場してすぐにコンピュータで使用されるようになった。MIT/IBMのWhirlwindでは、当初のウィリアムス管を磁気コアメモリに置き換えて、1024ワード(1ワードは16ビット)のメモリが提供された。同様に、UNIVAC 1103も1956年に1103Aにアップグレードされ、ウィリアムス管に代わってコアメモリが搭載された。1103で使用されたコアメモリのアクセス時間は10マイクロ秒だった。
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