ミンストレル‐ショー【minstrel show】
ミンストレル・ショー
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ミンストレル・ショー(minstrel show)とは、顔を黒く塗った(ブラックフェイス)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。ミンストレルとは、原義では中世ヨーロッパの宮廷にいた吟遊詩人や宮廷道化師たちを指すが、アメリカではミンストレル・ショーに出演する芸人たちのことをミンストレルと呼んだ。
- ^ Watkins, p. 82, シェークスピアの時代以降、オセロのキャラクターが黒くメイクした俳優によって伝統的に演じられたと断言している。
- ^ ルイス・ハラム(Lewis Hallam)が、1769年の『The Padlock』のステージで酔った黒人男性を演じた劇評に基づいて、ブラックフェイスで演じた最初の俳優として頻繁に引用される。コックレルと他の者のその後の研究はこの主張に異議を立てている。
- ^ Rourke, Constance (1931). American Humor: A Study of the National Character. Quoted in Watkins 83.
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- ^ Lott 94.
- ^ ボーンズ(bones)に関する文学の多くが、それらの「プリミティブさ」についての自民族中心主義的な考えのために、それらをアフリカの楽器であると仮定しているが、歴史学的、音楽学的証拠は、北米のボーンズはヨーロッパ起源であることを支持している。See Beth Lenz' thesis, The Bones in the United States: History and Performance Practice. M. A. Thesis, University of Michigan, 1989, and articles in The Rhythm Bones Player, the official publication of the Rhythm Bones Society.
- ^ Lott 101–3.
- ^ Watkins 82.
- ^ 1841年3月18日. Playbill, Bowery Theatre. Quoted in Cockrell 148.
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- ^ 1847年10月9日、エチオピアン・セレナーダーズについての記述。Quoted in Lott 153.
- ^ Toll 50–1.
- ^ Lott 39.
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- ^ Blesh, Rudi, and Janis, Harriet. Unpublished notes. Quoted in Stearns, Marshall and Jean (1968). Jazz Dance, 50-55. Quoted later in Toll 44.
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- ^ http://etd.lib.fsu.edu/theses/available/etd-03312006-171940/unrestricted/pds_dissertation.pdf
- ^ Paul Oliver, The Story of the Blues, 1972, ISBN 0-14-00-3509-5
- ^ Malone and Stricklin 26.
- ^ チキンジョークと呼ばれる。最も有名な答えは、「道の向こう側に渡ろうとしたため」、「ズボンが落ちないようにするため」
- ^ Marc 28.
- ^ www.50states.com. 現在は"Our Great Virginia"が2代目の州歌として制定されている。
- ^ Watkins 106.
ミンストレル・ショー
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「ポピュラー音楽」の記事における「ミンストレル・ショー」の解説
ミンストレル・ショーとフォスターとヴォードヴィル。都市部では、イギリスと同様にパーラー・ミュージックやダンスホールの音楽やオペレッタが流行しており、イギリスものが主流で専門家もロンドンで修業してくる流れが続いていたが、1820年ころにミンストレル・ショーという、白人が顔を黒く塗って黒人の真似をする差別的な喜劇が成立する。各自バンジョー・ヴァイオリン・タンバリン・ボーンズ(馬の骨などで作った一種の打楽器)で演奏しながら、コミカルな歌やセリフのやり取りをした。この頃は新移民として東欧(ロシア・ポーランド)や南欧(イタリア・ギリシャ)からの移民が急増しており、彼らは旧移民のように土地や農場を持つこともできず多くは都市の下層労働者となり、旧来のWASPと対立していた。このような新移民たちの間で、黒人を軽く見下して憂さ晴らしできるミンストレル・ショーは受け入れられていた。アメリカポピュラーソング史上最初の国際的なヒットはミンストレル・ショーから出たトマス・ダートマス・ライトの「ジャンプ・ジム・クロウ」(ミンストレル・ショーの代表的な黒人キャラクターの名)である。その音楽の多くは楽譜が出版されて商業的に成功し、アメリカの初期のポピュラー音楽をけん引し、19世紀半ばに最盛期を迎えたが、南北戦争や奴隷解放を経てミンストレル・ショーの人気は陰り、商業的には1910年ころに終焉を迎えた。 こうしたミンストレル・ショーの中から、フォスターが現れる。彼はミンストレル・ソングを書くところから経歴をスタートさせており、「おおスザンナ」「草競馬」「故郷の人々(スワニー河)」「主人は冷たい土の下に」「ケンタッキーのわが家」などは全てミンストレル・ショーのための作品である。やがてミンストレル・ソングに作曲することを恥じ、中流階級向けのパーラー・ソングに脱皮すべく方向転換し、「金髪のジェニー」「夢路より」などを残した。当時作曲家の地位は低く、低収入にあえいでいたフォスターは37歳で非業の死を遂げたが、作品の多さと現在でも歌われている親しみやすさ・その後に与えた影響から、「アメリカ音楽の父」「ポピュラー音楽の先駆者」と呼ばれている。彼の歌の作り方を、次代のポピュラー音楽の作曲家たちはこぞって「フック」(聴き手をとらえる印象的なメロディ。いわゆる「サビ」)の手本にした。 同じころ、いくつかの独立した出し物からなる舞台芸能や、軽わざ師、音楽家、コメディアン、手品師、魔術師などからなる芸人のショーがヴォードヴィルと呼ばれるようになった。イギリスのミュージック・ホールに当たるものであり、寄席演芸劇場と訳される。こうした家族で楽しめる娯楽場をアメリカに広めた最初の人物は、俳優で劇場支配人であったトニー・パスターで、1881年、ニューヨーク市の14丁目劇場でバラエティショーをおこなった。ヴォードヴィルは20世紀初頭にはアメリカで一番人気のある芸能となった。
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