ポーラロン理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 01:15 UTC 版)
剛体的な結晶格子の周期ポテンシャル中を運動する電子は、許容帯と禁制帯からなるエネルギースペクトル(ブロッホスペクトル)を持つ。エネルギーの値から許容帯に属する電子は、真空中の電子質量とは異なる有効質量を持つものの、自由電子と同じように運動することができる。しかしながら現実の結晶格子は剛体ではないため、原子(イオン)は平衡位置からずれることがある。この変位はフォノンとして扱われる。電子は原子変位との間に電子-フォノン結合と呼ばれる相互作用を持つ。1933年、ランダウは名高い論文の中で相互作用の一つのシナリオを提案した。運動する電子によってF-中心のような格子欠陥が作られ、その欠陥が電子を捕獲するというものである。これに対し、ペカール(英語版)が想定した別のシナリオでは、電子はその周囲に格子ひずみ(仮想粒子であるフォノンの雲)を引き起こす。電子はひずみを引きずりながら結晶中を自由に運動することができるが、有効質量は大きくなる。ペカールはこの電荷担体をポーラロンと名付けた。 ポーラロン理論の基礎を築いたのはランダウおよびペカールである。分極媒質の中に置かれた電荷は遮蔽される。誘電体理論では、この現象は電荷担体の周りに誘電分極が生じるためだと説明される。電荷担体が媒質中を運動すると、それにつれて分極も一緒に運動する。電荷と誘電分極をまとめて一つの実体とみなしてポーラロンと呼ぶ(図1)。 表1: フレーリッヒの結合定数α物質α物質αInSb 0.023 KI 2.5 InAs 0.052 TlBr 2.55 GaAs 0.068 KBr 3.05 GaP 0.20 RbI 3.16 CdTe 0.29 Bi12SiO20 3.18 ZnSe 0.43 CdF2 3.2 CdS 0.53 KCl 3.44 AgBr 1.53 CsI 3.67 AgCl 1.84 SrTiO3 3.77 α-Al2O3 2.40 RbCl 3.81 イオン結晶もしくは極性半導体中の伝導電子はポーラロンという概念の原型だといえる。フレーリッヒはこの種のポーラロンのダイナミクスを量子力学的に取り扱うためのモデルハミルトニアン(フレーリッヒ・ハミルトニアン)を提案した。このモデルは連続体近似に基づくもので、電子波動関数は多数のイオンにわたって広がっており、それらのイオンは多かれ少なかれ平衡位置からずれている。電子-フォノン相互作用の強さはフレーリッヒが導入した無次元の結合定数 α で表され、その値によって系の振る舞いが特徴づけられる。いくつかの固体物質についてフレーリッヒの結合定数を表1に示す。結晶中の電子一つについてのフレーリッヒ・ハミルトニアンは、第二量子化表示で以下のようになる。 H = H e + H p h + H e − p h {\displaystyle H=H_{e}+H_{ph}+H_{e-ph}} H e = ∑ k , s ξ ( k , s ) c k , s † c k , s {\displaystyle H_{e}=\sum _{k,s}\xi (k,s)c_{k,s}^{\dagger }c_{k,s}} H p h = ∑ q , v ω q , v a q , v † a q , v {\displaystyle H_{ph}=\sum _{q,v}\omega _{q,v}a_{q,v}^{\dagger }a_{q,v}} H e − p h = 1 2 N ∑ k , s , q , v γ ( α , q , k , v ) ω q v ( c k , s † c k − q , s a q , v + c k − q , s † c k , s a q , v † ) {\displaystyle H_{e-ph}={\frac {1}{\sqrt {2N}}}\sum _{k,s,q,v}\gamma (\alpha ,q,k,v)\omega _{qv}(c_{k,s}^{\dagger }c_{k-q,s}a_{q,v}+c_{k-q,s}^{\dagger }c_{k,s}a_{q,v}^{\dagger })} He 、 Hph 、 He-ph はそれぞれ電子、フォノン、電子⁻フォノン相互作用のハミルトニアンを表している。 γ の厳密な表式は物質やフォノンの種類によって決まる。DevreeseとAlexandrovはフレーリッヒ・ハミルトニアンのバリエーションについて詳細にわたる論考を行っている。フレーリッヒ・ハミルトニアンは連続体近似と長距離力(クーロン力)を前提にしているため、「ラージポーラロン」という用語がフレーリッヒ・ポーラロンと同義で用いられることがある。これに対し、ホルスタインが考案した短距離力に基づくハミルトニアンで表されるポーラロンは「スモールポーラロン」とされる。もっともよく知られているフレーリッヒ・ポーラロンは縦光学フォノン(LOフォノン、longitudinal optical phonon)と線形な γ のハミルトニアンで表されるものだが、数多くの試みがなされてきたにもかかわらず厳密解は得られていない。 ポーラロンの振る舞いについていくつかのことが近似的に求められている。ポーラロンの性質は単なるバンド内担体とは異なっており、自己エネルギー ΔE を持つことや、有効質量 m* の値、および外部電磁場に対する応答(たとえば直流移動度および吸光係数)で特徴づけられる。 電子-フォノン結合が弱い( α が小さい)場合、ポーラロンの自己エネルギーは近似的に以下で与えられる。 Δ E ℏ ω ≈ − α − 0.015919622 α 2 {\displaystyle {\frac {\Delta E}{\hbar \omega }}\approx -\alpha -0.015919622\alpha ^{2}} ( 1 ) {\displaystyle (1)\,} ポーラロンの有効質量 m* は以下の近似式で表され、自己誘起分極を持たない電荷担体のバンド質量 m よりも大きくなる。後述するように、ポーラロン質量 m* はサイクロトロン共鳴によって測定することができる。 m ∗ m ≈ 1 + α 6 + 0.0236 α 2 {\displaystyle {\frac {m^{*}}{m}}\approx 1+{\frac {\alpha }{6}}+0.0236\alpha ^{2}} ( 2 ) {\displaystyle (2)\,} ランダウとペカールは変分法を用いたアプローチにより、電子-フォノン結合が強い( α が大きい)場合について自己エネルギーが α2 でスケールし、ポーラロン質量が α4 でスケールすることを示した。ランダウ=ペカールの変分計算によれば、ポーラロンの自己エネルギーにはいかなる α についても ΔE < −CPLα2 の上界が存在する。ここで CPL は積分微分方程式を解いて得られる定数である。 α が発散する場合にもこの上界が漸近的に成立するかという問題は長年未解決だったが、最終的にDonskerとVaradhanが α が大きい場合でも成立することを示した。彼らの手法は、自己エネルギーに関するファインマンの経路積分に大偏差理論(英語版)を適用するというものだった。後にLiebとThomasは従来の方法で簡潔な証明を与えるとともに、ランダウ=ペカール式への低次補正項の下界を明らかにした。 ファインマンは一種の変分理論である経路積分法を用いてポーラロンを研究した。ファインマンは電子と分極モードの間の相互作用を電子と仮想粒子の間の調和相互作用としてモデル化した。厳密に解くことができる(「対称性を持つ」)1次元ポーラロンモデルの解析や、モンテカルロ法などによる数値計算が行われた結果、ポーラロンの基底エネルギーに対するファインマンのアプローチが際立って正確であることが明らかになった。その後は移動度や光吸収など、基底エネルギーと異なり実験的に測定可能な特性についての研究が行われてきた。 強い結合の極限( α ≫ 1 {\displaystyle \alpha \gg 1} )では、ポーラロンの励起状態スペクトルの下端はポーラロン-フォノン束縛状態であり、そのエネルギーは ℏ ω 0 {\displaystyle \hbar \omega _{0}} よりも小さくなる。ここで ω 0 {\displaystyle \omega _{0}} は光学フォノンの角振動数である。
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