ペリーが来る前とは? わかりやすく解説

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ペリーが来る前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 19:51 UTC 版)

日米関係史」の記事における「ペリーが来る前」の解説

日本アメリカの外交関係は、1854年日米和親条約持って開始されるが、それ以前にも両国接触はあった。 1791年寛政3年)、米国冒険商人ジョン・ケンドリックが2隻の船と共に紀伊大島到着11日滞在する日本訪れた最初米国人で、生皮交易求めた拒否された。現在、和歌山県串本町紀伊大島にはこれを記念した日米修交記念館がある。 1797年寛政9年)にオランダ東インド会社バタヴィア傭船契約結んだアメリカの船の多くは、セイラムから日本向けて出航した。そして、1799年オランダ東インド会社解散してもなお、日米貿易1808年(文化6年)まで続いた。ただし、その日貿易日本オランダ商館との関係に配慮した特殊なものであったアメリカ船が長崎入港する際は、1795年滅亡したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の国旗掲げてオランダ船を装うよう、すでに雇い主失っていたオランダ商館から要請された。日本向けられアメリカ船は次の通り1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長アメリカ船籍イライザ号が、長崎にて貿易1798年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長アメリカ船籍イライザ号が、長崎にて貿易1799年、ジェームズ・デブロー船長アメリカ船籍フランクリン号が、長崎にて貿易1800年ウィリアム・V・ハッチングス船長アメリカ船籍マサチューセッツ号が、長崎にて貿易1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長アメリカ船籍エンペラー・オブ・ジャパン号が、長崎にて貿易1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長アメリカ船籍マーガレット号が、長崎にて貿易1802年、ジョージ・スティルス船長アメリカ船籍サミュエル・スミス号が、長崎にて貿易1803年、ジェームズ・マクニール船長アメリカ船籍レベッカ号が、長崎にて貿易1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長アメリカ船籍ナガサキ号が、長崎にて貿易1806年、ヘンリー・リーラー船長アメリカ船籍アメリカ号が、長崎にて貿易1807年、ジョセフ・オカイン船長アメリカ船籍エクリブス号が、長崎にて交流1807年、ジョン・デビッドソン船長アメリカ船籍マウント・バーノン号が、マカオにて貿易1809年、ジェームズ・マクニール船長アメリカ船籍レベッカ号が、マカオにて貿易1830年天保元年)、日本領有宣言をしていたもの無人島となっていた小笠原諸島父島ナサニエル・セイヴァリー上陸入植1832年天保3年)、アンドリュー・ジャクソン大統領は、エドマンド・ロバーツ(Edmund Roberts)を特命使節としをアジア派遣したその際、「特に日本に関する情報注意深く収集」し、さらには、「正式な使節別に送るにしても状況が許すならば信任状提出して良い」とも指示する1835年天保6年)、ロバーツは清、日本との交渉のために再びアジア派遣された。この際東インド艦隊結成されるしかしながらロバーツ中国死亡し使命果たせず。 1837年天保8年)、広州在住アメリカ商人チャールズ・キングCharles W. King)は、商船モリソン号音吉を含む漂流民を日本送り届けるため浦賀来航したが、異国船打払令に基づき日本砲台砲撃したモリソン号事件)。この事件後、異国船打払令対す批判が強まる。 1845年弘化2年)、捕鯨船マンハッタン号(Manhattan)が、22人の日本人漂流民を救助しマーケイター・クーパー船長浦賀への入港許可され、そこに4日滞在し浦賀奉行対面したクーパー船長幕府から感謝され充分な薪水食料与えられ色々な贈り物貰って浦賀後にする1846年弘化3年)閏5月 - アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドル浦賀来航し通商求めた拒否された。ビドルには、「辛抱強く敵愾心米国へ不信感煽ると無く交渉することが求められていたため、数日滞在でに浦賀から退去した。 1848年嘉永元年5月 - アメリカ捕鯨船西蝦夷地漂着難破とも脱走とも)。幕府乗員長崎護送する1849年嘉永2年3月 - 東インド艦隊司令官であるデビッド・ガイシンガー命令によりジェームス・グリン艦長とするアメリカ軍プレブル号が長崎来航し前年漂着した捕鯨船船員と、自らの意志密入国していたラナルド・マクドナルド受け取り退去する1849年嘉永2年6月 - アメリカ捕鯨船員の3名、樺太島上陸する1851年嘉永4年1月 - 土佐漁民中濱万次郎ら、アメリカ船に送られ琉球上陸する

※この「ペリーが来る前」の解説は、「日米関係史」の解説の一部です。
「ペリーが来る前」を含む「日米関係史」の記事については、「日米関係史」の概要を参照ください。

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