ペリーの白旗書簡論争
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新しい歴史教科書をつくる会の教科書が最初に検定に合格した直後の2001年6月20日、歴史学研究会、歴史科学協議会、歴史教育者協議会など21団体が「『新しい歴史教科書』が教育の場に持ち込まれることに反対する緊急アピール」を発表。記者会見に出席した宮地は、同教科書に掲載されている、幕末にペリーが来航した際に白旗と「開国要求を認めないならば武力に訴える」「降参というときにはこの白旗を押し立てよ」と書かれた手紙を渡した―とするコラムについて「ペリーの手紙なるものは、明々白々の偽文書である」と批判した。その後、『UP』(東京大学出版会)や『歴史評論』(校倉書房)、『歴史学研究』(歴史学研究会)でも同様の趣旨の論文を発表した。 これに対し当時日本大学教授の秦郁彦は『諸君!』2002年2月号で、偽文書であるというのは説得力に乏しいと批判したが、多くの反論がなされている。
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