ビデオ映画とフランチャイズ(1985〜1995)
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「スラッシャー映画」の記事における「ビデオ映画とフランチャイズ(1985〜1995)」の解説
『エルム街の悪夢』の成功にもかかわらず、倦怠感はスラッシャージャンルに打撃を与え、その人気は大幅に低下した。VHSの人気に支えられたホームビデオ革命は低予算の映画制作に新たな手段を提供した。劇場公開のための主要なスタジオの支援無しにスラッシャー映画はホームビデオ市場でポルノに次いで二番目となった。より経済的なアプローチに対応するための予算の削減は大抵はクオリティの低下に見舞われた。『仮面のレジデンス』(1985)、『猟奇!惨殺魔/ザ・ミューティレーター』(1985)、『Blood Rage』(1987)、『キラー・パーティー/聖女のブラック・ミサ』(1986)、『狂気!呪いのモーテル』(1986)などの黄金時代に撮影された名残の映画はビデオが流通するようになった。パンク・ロックムーブメントを反映して、初心者の映画製作者は誰でもホームビデオで映画を作れることを証明し、その結果『ブラッド・カルト/悪魔の殺人集団』(1985)、『ザ・リッパー/真夜中の切り裂きジャック』(1985)、『Spine』(1986)、『虐殺仮面/禁断の不倫殺人鬼』(1986)、『エアロビクス殺人事件』(1987)及び『プラデューム/悪夢の閃光魔宮』(1989)などのビデオ撮影されたスラッシャーが制作されるようになった。あまり知られていないホラー映画『サマーキャンプ・インフェルノ』、『The Slumber Party Massacre』、『悪魔のサンタクロース』は、ホームビデオのフランチャイズになった。『サランドラⅡ』(1985)及び『新・13日の金曜日』(1985)は劇場公開されたが、どちらの映画も早急に制作された続編『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(1985)のように受け入れられなかった。あからさまな同性愛要素があると区別された『フレディの復讐』は、1985年の最高収益のホラー映画となり、「夢」のスラッシャー映画『ドリームマニアック』(1986)、『悪夢の惨劇』(1988)、『デッドリー・ドリーム/夢が殺しにやってくる』(1988)そして『ドリームデーモン』(1988)にインスピレーションを与えた。 パラマウント・ピクチャーズはパロディ作品『エイプリル・フール』を公開し同社の『13日の金曜日』の姉妹フランチャイズを始めることを望んだが、映画の興行収入はいまひとつで、シリーズ化されることはなかった。他のパロディー三作『ブラック・フライデー』(1986)、『悪魔のいけにえ2』(1986)及び『13日の金曜日PART6 ジェイソンは生きていた!』(1986)の興行収入も期待外れであった。『悪魔のいけにえ2』のチケットの売り上げは200万枚で、『ジェイソンは生きていた!』は520万枚であり、どちらも過去作より大幅に減少した。1980年代に人気だったアダルト・アクション・スリラーの愛好者層を満たそうとしたシルヴェスター・スタローンの警官スリラー『コブラ』(1986)は、アクション映画として宣伝された事実上のスラッシャー映画であり、1320万枚のチケットを販売した。VHS市場は、 テリー・オクィンやブルース・キャンベルなど性格俳優からスターを輩出した。それぞれが出演したインディペンデントホラースリラーの『W/ダブル』(1987)と『マニアック・コップ』(1988)は、劇場公開よりもVHSの販売が好調だった。オクィンは『ステップファーザー2/危険な絆』(1989)で再び出演したが、『ステップファーザー3』で同じ役で登場することはなく、キャンベルも同様に『マニアック・コップ2』(1990)ではカメオ出演にとどまり、『マニアック・コップ3 復讐の炎』(1993)には出演しなかった。 『エルム街の悪夢』シリーズは1980年代後半のホラーシーンを支配し、『エルム街の悪夢3 惨劇の館』(1987)は北米で1150万枚のチケットを販売し『エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃』(1988)はさらに1200万枚のチケットを販売した。他のフランチャイズと比較すると、『13日の金曜日 PART7 新しい恐怖』(1988)と『ハロウィン4 ブギーマン復活』(1988)は、それぞれ約450万枚のチケットを販売しており、これは『エルム街の悪夢』の映画の半分未満である。 フレディ・クルーガーの個性主導の魅力は、チャッキーやキャンディマンのようなキャラクターに十分な対話が与えられ、黄金時代にはほぼ無視されていた都市環境が舞台となるなど映画製作者にとって無駄とはならなかった。チャッキーの『チャイルドプレイ』(1988)と1990年の続編では合計1470万枚以上のチケットを販売し、『キャンディマン』(1992)は620万枚販売した。『チャイルド・プレイ3』(1991)が北米で350万枚、『キャンディマン2』(1995)が320万枚しか売れなかったため、どちらのフランチャイズもかなり早くに映画制作が中断した。 アメリカ国外において、スラッシャー映画の人気は保たれていた。メキシコは『Zombie Apocalypse』(1985)、『ショック・ザ・ナイトメア/異次元の悪夢』(1988)、『ヘルグレイブ/悪魔の死体蘇生実験(Grave Robbers)』(1990)、『Hell's Trap』(1990年)を公開した。ヨーロッパでは、スウェーデンの『血のロックン・ロール』(1985)、イギリスの『Lucifer』(1987)、スペインの『EYES-眼-(Anguish)』(1987)、イタリアの『アクエリアス』(1987)及び『ブラディ・キャンプ/皆殺しの森』(1987)が公開された。アジア・太平洋では、オーストラリアが『コーダ/殺しの旋律』(1987)、『Houseboat Horror』(1989)、及び『ブラッド・ムーン』(1990)を公開し、日本では『死霊の罠』(1988)、『ブラディ・ポンポン/切り裂きチアガール』(1988)が公開された。 1989年までに主要なスラッシャー映画のシリーズの人気は衰えていき、『13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ』(1989)、『エルム街の悪夢5 ザ・ドリームチャイルド』(1989)、『ハロウィン5 ブギーマン逆襲』(1989)などは興行的に失敗した。『ドリームチャイルド』のチケット販売数は560万枚と(過去作と比べて)急減し、『ジェイソンN.Y.へ』と『ブギーマン逆襲』はそれぞれ約300万枚しか売れなかった。チケット販売が減少したため、『13日の金曜日』と『ハロウィン』のフランチャイズの権利は、それぞれニュー・ライン・シネマとミラマックスに売却された。現在、ジェイソン・ボーヒーズとフレディ・クルーガーの両方のキャラクターを所有しているニュー・ラインは、フランチャイズのクロスオーバー映画を検討している。『エルム街の悪夢 ザ・ファイナルナイトメア』(1991)と『13日の金曜日 ジェイソンの命日』(1993)はこのフランチャイズのクロスオーバーを開始したが、両方の映画の利益の低下が10年間プロジェクトを停滞させた。『ハロウィン6 最後の戦い』(1995)は、ミラマックスのディメンション・フィルムズのバナーの下で公開されたが、ファンには否定的な評価をされ、興行収入も少なかった。
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