バンコ【(ポルトガル)banco】
バン‐こ【バン湖】
読み方:ばんこ
《Van Gölü》トルコ東部にある同国最大の湖。イランとの国境近くに位置する。塩湖であり、流出河川はない。湖面標高1646メートル。湖に浮かぶアクダマル島には10世紀建造のアルメニア教会が残っている。ワン湖。
ばん‐こ【万古】
ばん‐こ【万戸】
ばん‐こ【番子】
ばん‐こ【盤古/盤固】
バンコ
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ
(バンコ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/19 19:59 UTC 版)
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ Banco del Mutuo Soccorso |
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バンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモ(2009年)
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基本情報 | |
別名 | バンコ (Banco) BMS |
出身地 | ![]() |
ジャンル | プログレッシブ・ロック イタリアン・プログレッシブ・ロック アート・ロック |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル | Dischi Ricordi、マンティコア、EMI、ソニー |
公式サイト | www |
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ(Banco del Mutuo Soccorso)は、イタリアのプログレッシブ・ロック・バンドである。バンド名は「共済銀行」の意。単にバンコ(Banco)とも表記される[1]。
経歴
1969年に兄ヴィットリオと弟ジャンニのノチェンツィ兄弟が中心となって結成され、後にフランチェスコ・ディ・ジャコモが加入して陣容が固まる。
1972年、アルバム『バンコ・ファースト』でデビュー。壷型貯金箱を模した変形ジャケット[2]で発売された。収録曲「安息の鎮魂曲」[3]は彼等の代表曲のひとつとなり、同アルバムはイタリアのプログレッシブ・ロックの幕開けを飾る1枚とされている。
1975年、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)に続いて、イングランドのエマーソン・レイク・アンド・パーマーが設立したマンティコア・レコードと契約を結び、英語詞を採用したアルバム『イタリアの輝き - バンコ登場』を発表して海外進出の第一歩を踏み出した。しかしPFMほどの世界的反響は得られなった。
1990年以降はライブを中心に活動している。
2014年2月21日イタリア時間午後6時頃、ジャコモが交通事故により死亡した。
デビュー時のメンバー
- フランチェスコ・ディ・ジャコモ(Francesco Di Giacomo) - ボーカル
- マルチェッロ・トダーロ(Marcello Todaro) - ギター
- ヴィットリオ・ノチェンツィ(Vittorio Nocenzi) - キーボード
- ジャンニ・ノチェンツィ(Gianni Nocenzi) - キーボード
- レナート・デアンジェロ(Renato D'Angelo) - ベース
- ピエールルイジ・カルデローニ(Pierluigi Calderoni) - ドラムス
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『バンコ・ファースト』 - Banco del Mutuo Soccorso (1972年)
- 『ダーウィン』 - Darwin! (1972年)
- 『自由への扉』 - Io sono nato libero (1973年)
- 『イタリアの輝き - バンコ登場』 - Banco (1975年) ※以前のアルバムの曲の英語版が含まれている
- 『赤いカーネーション』 - Garofano rosso (1976年) ※映画のサウンドトラック[4]
- 『最後の晩餐』 - Come in un'ultima cena (1976年)
- 『ディ・テッラ』 - …di terra (1978年) ※Orchestra dell'Unione Musicisti di Romaと共演
- 『春の歌』 - Canto di primavera (1979年)
- 『ウルジェンティッシモ』 - Urgentissimo (1980年)
- 『ブオーネ・ノティツィエ』 - Buone Notizie (1981年)
- 『バンコ』 - Banco (1983年)
- 『…エ・ヴィア』 - ...e via (1985年)
- 『13』 - Il 13 (1994年)
- 『ヌード: アンプラグド・トラックス』 - Nudo (1997年)
- 『トランシベリアーナ~シベリア横断、人生の旅路』 - Transiberiana (2019年)
- 『オルランド~愛のかたち』 - Orlando: Le Forme dell’Amore (2022年)
ライブ・アルバム
- 『ライヴ・アット・カポリネア』 - Capolinea (1979年)
- 『ノー・パルコ - 30周年記念コンサート』 - No Palco (2003年)
- 『ライヴ '75』 - Seguendo le Tracce (2005年)
その他のアルバム
- 『最後の晩餐 [英語版]』 - As in a Last Supper (1976年) ※『Come in un'ultima cena』の英語詞ヴァージョン
- 『ドナ・プラウティラ』 - Donna Plautilla (1989年) ※1972年以前の未発表音源のコンピレーション
- Non Mettere le Dita nel Naso (1989年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義[5]
- Darwin (1991年) ※1972年のオリジナル・アルバムを再録音
- 『B.M.S. (ファースト)&ダーウィン』 - Da qui Messere si Domina la Valle (1991年) ※最初の2枚のアルバムをまとめて再発
- La Storia (1993年) ※コンピレーション
- Banco d'Accusa (1996年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義のコンピレーション・ボックスセット
脚注
- ^ 海外進出後はこの表記が一般的。
- ^ “Discogs”. 2024年12月19日閲覧。
- ^ R.I.P. (Requiescant In Pace)。
- ^ インスト作であり、ジャコモの歌唱は入っていない。
- ^ 名義上はジャコモのソロ作だが、バンコのメンバーも演奏に参加している。
参考文献
- 『マスターピースシリーズ イタリアン・プログレッシヴ・ロック』(2011年 ストレンジ・デイズ/日興企画)
- 『ディスク・セレクション・シリーズ プログレッシヴ・ロック』(2010年 ミュージック・マガジン社)
外部リンク
バンコ
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「バンコ」の例文・使い方・用例・文例
- バンコクは一年じゅう暑い
- 私たちはバンコックを出発した
- 自分の足でバンコクを歩きたい方には、ぜひご一読をすすめる
- 当シンポジウムは、バンコク、キャンベラと回を重ねています
- バンコマイシン耐性腸球菌は1986年に発見された。
- バンコク行きの便はいつ発ちますか。
- 細菌感染に効果がある抗生物質(商標名バンコシン)
- バンコクというタイ王国の首都
- バンコク初の地下鉄線完成
- 4月13日,バンコク初の地下鉄線の試運転が始まった。
- バンコク中心部のフォアランポーンから,北部の郊外にあるバンスーまでのびている。
- 12歳の時,家族を支えるためにバンコクで働き始めました。
- 日本,バンコクで北朝鮮と対戦へ
- 国際サッカー連盟(FIFA)は,ワールドカップ(最終)予選の日本対北朝鮮戦を6月8日にタイのバンコクで行うことを決定した。
- その事件のことで北朝鮮を罰するために,FIFAは日本対北朝鮮の試合を観客無しで,そして,ピョンヤン(平壌)のかわりにバンコクで行うことを決めた。
- 何百人もの日本人サポーターがバンコクのスタジアム近くのホテルに集まり,大型スクリーンで試合の生中継を見ながら声援を送った。
- コンケン県はバンコクから遠く離れており,ここには日本人はほとんど住んでいません。
- 現在,あふれた水が同国の首都,バンコクに向かって南下しており,市の中心部に徐々に迫っている。
- 春(かす)日(が)野(の)部屋の親方と力士たちが先日,タイのプミポン・アドゥンヤデート国王の84歳の誕生日の祝賀行事の一(いっ)環(かん)として相撲の実演を行うためにバンコクを訪れた。
- 先日,佐藤重(しげ)和(かず)駐タイ日本国大使と同クリニックのシンシア・マウン院長が,バンコクの日本大使公邸で総合的援助計画に関する文書に署名した。
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