バンコクIBFのドル化現象とは? わかりやすく解説

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バンコクIBFのドル化現象

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:54 UTC 版)

オフショア市場」の記事における「バンコクIBFのドル化現象」の解説

1992年9月8日、バンコク・オフショア市場(BIBF)の開設閣議決定された。恒常的に不足する国内貯蓄海外から資金調達して補填する目的だった。取り扱い通貨外貨のみに限定され、ユーロ・バーツの国内持ち込み認められていなかった。 1993年3月2日タイ銀行総裁議長とする合同委員会がBIBF参加銀行発表した新規参入外国銀行20行も承認された。新規参入外銀場合、最低持込み1億バーツという業務規制があり、開業後3ヵ月以内にこの条件達成しなけれはならなかった。ほかに承認されたのは既存外銀12行と、地場銀行15であった。BIBFは16日開設された。BIBFには個人参加できたが、しかし貸付最低限50ドルという大企業向けの構造だった。金融機関シンガポール香港アメリカ在外支店から外貨調達した地場銀行新規参入外銀も、当初シンガポール香港オフショア市場からの移転書換という形で実績上げざるを得なかった。これがBIBFの事業収益低さ反映している。大企業勅令パブリック・カンパニーへの切り替え強制され認められ広範な資本調達手段ユーロ債発行し機関化していった。BIBFは投資顧問業務も担当したバスケット方式管理変動相場制のもとで、バーツ対ドル相場(25.5バーツ前後)が安定的に維持されていた。海外短期資金専らバーツ金利動向鋭敏に反応したバーツ金利上昇し内外金利差が拡大すると、海外資金USドル)が大量に流入した為替持高調整できない商業銀行のためにドル中央銀行バーツ交換インフレ圧力高めた。しかしこれは、政治的混乱生じれば直ぐドル戻って流出し国内金利急騰させる構造だった。 実際日中香港同時機関化を企図しての流出おこったアジア通貨危機)。ユーロ買占め難しかった

※この「バンコクIBFのドル化現象」の解説は、「オフショア市場」の解説の一部です。
「バンコクIBFのドル化現象」を含む「オフショア市場」の記事については、「オフショア市場」の概要を参照ください。

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