バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソとは? わかりやすく解説

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バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/19 19:59 UTC 版)

バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ
Banco del Mutuo Soccorso
バンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモ(2009年)
基本情報
別名 バンコ (Banco)
BMS
出身地 イタリア ローマ
ジャンル プログレッシブ・ロック
イタリアン・プログレッシブ・ロック
アート・ロック
活動期間 1969年 -
レーベル Dischi Ricordi、マンティコアEMIソニー
公式サイト www.bancodelmutuosoccorso.it

バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソBanco del Mutuo Soccorso)は、イタリアプログレッシブ・ロック・バンドである。バンド名は「共済銀行」の意。単にバンコ(Banco)とも表記される[1]

経歴

1969年に兄ヴィットリオと弟ジャンニのノチェンツィ兄弟が中心となって結成され、後にフランチェスコ・ディ・ジャコモが加入して陣容が固まる。

1972年、アルバム『バンコ・ファースト』でデビュー。壷型貯金箱を模した変形ジャケット[2]で発売された。収録曲「安息の鎮魂曲」[3]は彼等の代表曲のひとつとなり、同アルバムはイタリアのプログレッシブ・ロックの幕開けを飾る1枚とされている。

1975年、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)に続いて、イングランドエマーソン・レイク・アンド・パーマーが設立したマンティコア・レコードと契約を結び、英語詞を採用したアルバム『イタリアの輝き - バンコ登場』を発表して海外進出の第一歩を踏み出した。しかしPFMほどの世界的反響は得られなった。

1990年以降はライブを中心に活動している。

2014年2月21日イタリア時間午後6時頃、ジャコモが交通事故により死亡した。

デビュー時のメンバー

  • フランチェスコ・ディ・ジャコモ(Francesco Di Giacomo) - ボーカル
  • マルチェッロ・トダーロ(Marcello Todaro) - ギター
  • ヴィットリオ・ノチェンツィ(Vittorio Nocenzi) - キーボード
  • ジャンニ・ノチェンツィ(Gianni Nocenzi) - キーボード
  • レナート・デアンジェロ(Renato D'Angelo) - ベース
  • ピエールルイジ・カルデローニ(Pierluigi Calderoni) - ドラムス

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『バンコ・ファースト』 - Banco del Mutuo Soccorso (1972年)
  • 『ダーウィン』 - Darwin! (1972年)
  • 『自由への扉』 - Io sono nato libero (1973年)
  • 『イタリアの輝き - バンコ登場』 - Banco (1975年) ※以前のアルバムの曲の英語版が含まれている
  • 『赤いカーネーション』 - Garofano rosso (1976年) ※映画のサウンドトラック[4]
  • 『最後の晩餐』 - Come in un'ultima cena (1976年)
  • 『ディ・テッラ』 - …di terra (1978年) ※Orchestra dell'Unione Musicisti di Romaと共演
  • 『春の歌』 - Canto di primavera (1979年)
  • 『ウルジェンティッシモ』 - Urgentissimo (1980年)
  • 『ブオーネ・ノティツィエ』 - Buone Notizie (1981年)
  • 『バンコ』 - Banco (1983年)
  • 『…エ・ヴィア』 - ...e via (1985年)
  • 『13』 - Il 13 (1994年)
  • 『ヌード: アンプラグド・トラックス』 - Nudo (1997年)
  • 『トランシベリアーナ~シベリア横断、人生の旅路』 - Transiberiana (2019年)
  • 『オルランド~愛のかたち』 - Orlando: Le Forme dell’Amore (2022年)

ライブ・アルバム

  • 『ライヴ・アット・カポリネア』 - Capolinea (1979年)
  • 『ノー・パルコ - 30周年記念コンサート』 - No Palco (2003年)
  • 『ライヴ '75』 - Seguendo le Tracce (2005年)

その他のアルバム

  • 『最後の晩餐 [英語版]』 - As in a Last Supper (1976年) ※『Come in un'ultima cena』の英語詞ヴァージョン
  • 『ドナ・プラウティラ』 - Donna Plautilla (1989年) ※1972年以前の未発表音源のコンピレーション
  • Non Mettere le Dita nel Naso (1989年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義[5]
  • Darwin (1991年) ※1972年のオリジナル・アルバムを再録音
  • 『B.M.S. (ファースト)&ダーウィン』 - Da qui Messere si Domina la Valle (1991年) ※最初の2枚のアルバムをまとめて再発
  • La Storia (1993年) ※コンピレーション
  • Banco d'Accusa (1996年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義のコンピレーション・ボックスセット

脚注

  1. ^ 海外進出後はこの表記が一般的。
  2. ^ Discogs”. 2024年12月19日閲覧。
  3. ^ R.I.P. (Requiescant In Pace)。
  4. ^ インスト作であり、ジャコモの歌唱は入っていない。
  5. ^ 名義上はジャコモのソロ作だが、バンコのメンバーも演奏に参加している。

参考文献

  • 『マスターピースシリーズ イタリアン・プログレッシヴ・ロック』(2011年 ストレンジ・デイズ/日興企画)
  • 『ディスク・セレクション・シリーズ プログレッシヴ・ロック』(2010年 ミュージック・マガジン社)

外部リンク




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