バブル崩壊から東日本大震災まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:18 UTC 版)
「鬼怒川温泉」の記事における「バブル崩壊から東日本大震災まで」の解説
バブル崩壊後は、団体旅行(特に会社の慰安旅行)の減少、レジャーの多様化、円高に伴う海外旅行の一般化などの構造的要因もあって、全国的に温泉街が経営的に一層苦しくなっている中、鬼怒川温泉も例外ではなく、熱海温泉や別府温泉と並んで不振の代表格とされたことすらあった。同じ東京近郊立地の温泉地である箱根温泉や伊豆・熱海などと比べると、アクセスがやや不利で、集客にハンディがあったうえ、東北新幹線の拡充・延伸や航空運賃の低下に伴う東北・北海道など北日本各地の観光地・温泉地との地域間競合、円高やLCCの出現による観光客の海外流出(中京や関西といった遠方からだと日光・鬼怒川に行くよりもむしろ海外に行く方が安い場合が多い)も不振に繋がる要因であった。 内的なものとしては、会社などの団体客を主要顧客としていた時代の設備のままの経営や、硬直的で割高な料金設定(各ホテル・民宿をほぼすべて同じ料金に設定していた時期もあった)を後々まで続けていたことで、リピーターとなる可能性のある一人旅客や若年層を長年逃し続ける原因ともなった。 鬼怒川の渓谷沿いに大型のリゾートホテル・旅館が連なるようになったのは高度経済成長期以降である。多くの地場資本による宿泊施設のメインバンクである足利銀行は、融資拡大路線と相まってバブル期に宿泊施設の増築・改装といった設備投資に対して積極的に融資を行った。バブル崩壊後は越冬資金(売上が減少する冬季の運転資金)融資を引き受け、返済困難な既存借入を新規融資で肩代わりし借換えさせる(自転車操業)策により、殆どの宿泊施設は宿泊客が年々減少する平成不況下でも経営支援として延命されてきた。 しかし2003年11月に足利銀行は経営破綻し預金保険機構が一時国有化。融資基準が厳格化され、不良債権が認められた貸出先については新規融資が困難となり、あさやホテルのようにバブル期の設備投資による過剰な融資が集中した鬼怒川温泉界隈で資金繰りの悪化が懸念された。その後不良債権の多くは整理回収機構へ債権譲渡され、取立や資金繰りに屈した事業者が2005年前後に相次いで倒産した。また、あさやホテルや鬼怒川温泉ホテルをはじめとした5社(同じ日光国立公園内では他に3社)については産業再生機構に支援入りし、債権放棄を受け経営再建を果たすことになった。これらの施設は金融支援のうえ経営会社の株式(経営権)や不動産が企業再生ファンドに買い叩かれたことで財務基盤が身軽であり、設備のリニューアルや低価格を武器に集客を図っている。その一方、休館した一部のリゾートホテルは解体されず放置され、廃墟となっている。 2006年3月に特急「きぬがわ」・「スペーシアきぬがわ」が新宿駅 - 鬼怒川温泉間で直通運転を開始した。従来の特急「きぬ」は浅草駅発着であったため、東京都西部や神奈川県からの利用客にとってやや不便であったが、西東京・東京都区部からの集客に寄与することになった。なお、1995年に関東バスと東武バス日光が新宿駅〜日光・鬼怒川温泉間の高速路線バスを開設したが1998年3月に撤退している。また、2006年11月を以てウェスタン村が休園(事実上の閉園)した。 2009年に世界金融危機の影響を受け、鬼怒川観光ホテルと鬼怒川ホテルニュー塩原を経営するホテルニュー塩原グループが自主再建を断念し、新旧分離を実施(2011年特別清算)した。 2011年は東日本大震災と福島第一原子力発電所事故による放射能汚染の懸念から日帰りを含め観光客が激減。TEPCO鬼怒川ランドが閉園、それまで不良債権問題を免れ自主経営を続けてきた中小の民宿・旅館や店舗の廃業が相次ぎ、日光猿軍団も2013年12月末で解散となった(2014年10月に記念館として営業再開)。
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