バブル崩壊から経営破綻へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:26 UTC 版)
「東京相和銀行」の記事における「バブル崩壊から経営破綻へ」の解説
バブル景気が崩壊すると、東京相和銀行も経営不安がささやかれるようになり、1997年より2年の計3回、総額950億円に及ぶ増資を行った。しかしその3割は、取引のある消費者金融業者に増資分を経由させて、関連会社3社に迂回融資したものであり、後に裁判において架空増資との判決に至る。ただし、融資には何れも実態のある担保が設定されていたことが裁判で明らかにされている。弁護側は、「検察側が債務の帳消しを餌に消費者金融業者に見せ掛け融資であったとの偽証をそそのかした」と主張。弁護側証人となった消費者金融の社長は、供述調書を全面撤回し、涙ながら担保を入れた実態融資であったと証言しており、本事件がバブル崩壊後に金融監督庁が検察庁と手を組んで実施した国策捜査の1つとの見方もある。 1998年に入り長田と個人的なつながりがあった三井埠頭、ヤオハン等が相次いで破綻。その後の金融監督庁の金融検査の結果、1998年9月期で1189億円もの債務超過が公表された。株価下落に加え、経営不安から2000億円近い預金流出が止まらず、増資手段も力尽きていた。 1999年6月12日、金融再生委員会が東京相和銀行に金融整理管財人による業務及び財産の管理を命じ破綻認定した。時同じくして国民銀行、幸福銀行、新潟中央銀行といった、オーナー色の強い第二地方銀行が相次いで破綻しており、「ワンマン経営の結果、不良債権が積み上がる」マイナス面を印象づけた。2000年5月11日警視庁捜査2課・東京地検特捜部は不正増資疑惑で長田ら旧経営陣6人を逮捕。2003年2月、東京地裁は長田に、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。翌04年、長田は弁護士の助言によって、東京高裁への控訴を取り下げ、一審判決が確定した。 2000年6月27日、米国のアジア・リカバリー・ファンドが中心となって組成の(仮称)「日本さわやかパートナーズ社」が創設する銀行持株会社傘下の新設銀行子会社の一つに同行の営業譲渡を行う基本合意書が締結された。2001年6月11日、アメリカの投資ファンド会社であるローンスターが設立した、株式会社東京スター銀行に営業譲渡した。同年7月23日付で金融機能の再生のための緊急措置に関する法律第22条に基づく裁判所の許可決定により解散、以後は清算会社となり、清算に9年近くもの歳月を要した末、2010年3月11日付で清算が終了し、完全消滅している。 なお、東京相和銀行の破綻処理には金銭贈与や債権買い取りで約8000億円の公的資金が使われている。 2001年には、実質子会社の東総(旧・相和不動産)が自己破産した。
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