ド・サシ、オケルブラッド、ヤング
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「古代エジプト文字の解読」の記事における「ド・サシ、オケルブラッド、ヤング」の解説
1787年にペルシャのパフラヴィー文字を解読していた著名なフランスの言語学者アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシは、この石に取り組んだ最初の1人であった。MarcelとRaige同様ギリシア語のテキストと真ん中のデモティックのテキストを関連付けることに注力した。プルタルコスに基づきこの文字は25の表音文字で構成されていると仮定した。デモティックのテキストでギリシア語の固有名詞を探しその中の表音文字を特定しようとしたが、プトレマイオス、アレクサンダー、アルシノエの名前を特定する以外の進展はなかった。デモティックには25を超える文字があり、デモティックの碑文がギリシア語の碑文に忠実な翻訳ではないことがこの課題をより困難にしていることに気づいた。1802年に結果を公表したのち、ロゼッタストーンへ取り組むのをやめた。 同年、ド・サシは碑文の複写を、自身のかつての学生であり当時スウェーデンの外交官でありアマチュアの言語学者であったヨハン・ダヴィド・オケルブラッドに渡した。オケルブラッドは大きな成功を収め、ド・サシと同じ文字のまとまりを分析したがより多くの文字を正しく識別した。ド・サシへ宛てた手紙の中で29のデモティック文字のアルファベットを提案したが、その半分は後に正しいことが証明され、コプト語に関する知識に基づき文中のいくつかのデモティックの単語を特定した。ド・サシは彼の結果に懐疑的であり、オケルブラッドもあきらめた。他の学者による試みはあったものの、トマス・ヤングがこの分野に入るまでの10年以上はほとんど進展がなかった。 ヤングはイギリスの博学者であり、その専門分野は物理学、医学、言語学と広範囲に及ぶ。彼がエジプトに関心を向けるころには、当時最も優れた知識人の1人とみなされていた。1814年、彼はロゼッタストーンについてド・サシと連絡を取り始め、数か月後、 ヒエログリフとデモティックのテキストの翻訳と呼べるものを作成した。これらは実際、エジプト語の文でギリシア語によく一致する可能性が高い場所を見つけるために、文を文字のまとまりに分解する試みであった。このアプローチは3つの文が互いに正確に翻訳されたものではないため、限られた効果しかなかった。ヤングは他のエジプト語のテキストを複写するのに数か月を費やし、他の人たちが見逃してきたパターンを見ることができた。Zoëga同様、それぞれのヒエログリフが1つの単語を表すにはそれが少なすぎることを認識し、単語はそれぞれ2つ3つのヒエログリフで構成されていることを提案した。 ヤングはヒエログリフとデモティックの類似性に気づき、ヒエログリフがデモティックに発展したと結論づけた。ヤングは、もしそうであるならデモティックは単に表音文字ではないが、ヒエログリフから派生した表意文字の符号を含んでいるはずだと推測した。この洞察を1815年にド・サシへ送っている。ヒエログリフ文字の中で表音文字を見つけ出すことを望んでいたが、文字が用いる多種多様な表音式のつづりに妨げられた。彼は大きな例外はあるものの、表音のヒエログリフは存在しないと結論づけた。ド・サシは、1802年の出版物で外国の単語を書く際にヒエログリフが表音的に機能する可能性があることを述べていた。1811年、中国の書記体系における類似の慣例について学んだのち、カルトゥーシュはプトレマイオスのような非エジプトの統治者の名前のような表音的に書かれた単語を示すものであることを提案した。ヤングはこの提案をロゼッタストーンのカルトゥーシュに適用した。8つの文字で構成される短いものもあれば、同じ文字列に続き多くの文字が含まれるものもあった。ヤングは長いカルトゥーシュには、ギリシア語の碑文でプトレマイオスに与えられた敬称「永遠に生き、プタハに愛され」のエジプト語のものが含まれていたと推測した。そのため、ギリシア語のプトレマイオスに対応するであろう8つの文字に専念した。ヤングはオケルブラッドにより提案された音価の一部を採用し、8つのヒエログリフをデモティックに相当するものに一致させ、いくつかの音価を表すものもあれば1つの音価を表すものもあることを提案した。その後この結果をプトレマイオス女王の名前であるベレニケのカルトゥーシュへの適用を試みたが、あまり成功せず、女性の名前の終わりを示したヒエログリフのペアを特定しただけだった。結果はヒエログリフとデモティックの13の音価の組であった。このうち6つは正しく、3つは部分的に正しく、4つは間違っていた。 ヤングによるプトレマイオスのカルトゥーシュの分析 ヒエログリフ ヤングの読み P T 必要でない LO or OLE MA or M I OSH or OS ヤングは1819年ブリタニカ百科事典の補遺に匿名で発表された記事「エジプト」で自身の研究をまとめた。これはデモティックで218語、ヒエログリフで200語に推測的な翻訳を与え、約80のヒエログリフをデモティックで相当するものと正しく関連付けた。エジプト学者フランシス・ルウェイン・グリフィスが1922年にに述べたように、ヤングの結果は「多くの誤った結論と混同されたが、追求した方法は間違いなく明確な解読につながった」。しかし、ヤングは知的なパズルとしての書記体系よりも古代エジプトのテキスト自体への関心は低く、複数の科学的関心があったため解読に専念することが難しくなり、それ以後数年間でそれ以上の成果を上げることができなかった。
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