ド・ゴールの対外政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:29 UTC 版)
「フランス第五共和政」の記事における「ド・ゴールの対外政策」の解説
詳細は「ド・ゴール主義」を参照 ド・ゴールは冷戦期の米ソ二大国に対して独自の立場を取る。その第一歩として始めたのが、ドイツ(西ドイツ)との和解を示す1963年のエリゼ条約の調印である。こうした独仏関係が接近していくのに対して、英仏関係はド・ゴールがイギリスが欧州共同市場への加盟申請に対して反対を表明し、1963年のマクミラン政権時と1967年ウィルソン政権時の過去2回、申請が拒絶されたことから分かるように悪化の一途をたどった。一方で米仏関係は、1962年に起こったキューバ危機に際してはアメリカを支持していたものの、アメリカのベトナム戦争への介入をはじめとする東南アジア政策に対しては批判を行って以降、イギリスと同様に悪化の一途をたどっていく。1964年、フランスは中華人民共和国を国家として承認する。
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