トライコンとしての分離独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 13:55 UTC 版)
「ケンタッキーフライドチキンの歴史」の記事における「トライコンとしての分離独立」の解説
1997年8月、ペプシコは自社の経営不振のレストラン部門を別の上場企業として分離独立(スピンオフ)させ、ペプシコはこのスピンオフにより45億米ドルを取得した。スピンオフ以前、KFCの業績は良好だったものの、ピザハットとタコベルの業績は低迷していた。ペプシコの幹部の1人は「レストラン経営は我々の特技ではなかった」と認めている。「トライコン・グローバル・レストランズ」と名づけられた新会社は、設立時点で店舗数3万と年間売り上げ100億米ドルを誇っており、全世界的な売上高でマクドナルドに次ぐ業界第2位となった。 21世紀の変わり目から、ファストフードは動物福祉的観点や肥満との関連、環境への影響といった面で批判の対象となってきた。エリック・シュローサーの2002年の著書『ファストフードが世界を食いつくす』や、モーガン・スパーロックの2004年の映画『スーパーサイズ・ミー』は、そのようなファストフードに対する懸念を反映していた。2003年以来、動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)はケンタッキー・フライド・クルーエルティと題したキャンペーンを展開し、全世界におけるKFCの鶏肉サプライヤーの選択に対する抗議活動を行ってきた。PETAが行ってきたデモ活動は数千回にものぼり、ときにはKFC幹部の故郷の町でも活動を実施した。KFCのCEO、デヴィッド・ノヴァクは活動家にニセの血を浴びせかけられた。KFC社長グレッグ・デドリックは、PETAが誤ってKFCを鶏肉の購入者ではなく、鶏肉の生産者であるかのように扱っていると語った。2008年、ヤム・ブランズは次のような声明を出した。「食品生産物の主要な購入者として、(ヤム・ブランズは)供給される動物がどのように取り扱われているかについて関与する機会と責任を持っている。我々はこの責任を非常に重く受けとめており、我々のサプライヤーを継続的にモニタリングしている。」 2002年5月、トライコン社は「ヤム・ブランズ」に社名変更された。同年、KFCチェーンはバーガーキングが発売した「チキンワッパー」と、ドミノ・ピザおよびパパ・ジョンズ・ピザが発売したフライドチキン商品との競争を強いられた。発売後3ヶ月のうちに、「チキンワッパー」はバーガーキング史上最高の新商品となり、5000万個を売り上げた。2002年9月、KFCの売り上げは前年比10パーセントの減少を記録した。2002年から2005年にかけ、KFCは3年間の低調な売り上げを経験した。独立系コンサルタント会社のレストラン・リサーチによると、同時期には商品開発における投資不足がKFCブランドを「くたびれて、みすぼらしく」見せていた。2004年に発売したローストチキンの商品は成功しなかった。さらに、2005年の鳥インフルエンザ騒動は一時的に売り上げを40パーセントも減少させた。これに反応してKFCは、2005年3月「スナッカー」と呼ばれる安価で小さなチキンバーガーをメニューに追加した。「スナッカー」はKFCチェーンにとって、これまでにもっとも成功した新商品のひとつとなり、1億個以上を売り上げた。さらにKFCは、国際的なマーケットに1食分の食材をトルティーヤで巻いた「ボックスマスター」を投入した。同じ時期、KFCはブランドイメージの変革に着手した。1991年以降、健康志向を強めるため、KFC店舗では「ケンタッキーフライドチキン」という伝統的名称ではなく「KFC」のイニシャリズムが使用されるようになっていたが、2006年からは一部の店舗のデザインに再び「ケンタッキーフライドチキン」の名前が用いられるようになった。ロゴや看板で使用されるカーネル・サンダースの肖像も刷新され、サンダースがKFCの創業者兼シェフであり、オリジナルレシピの開発者であることを強調するため、従来の白のスーツ姿から赤いエプロンを身につけたデザインに変更された。グレッグ・デドリックは、ロゴの変更はサンダースが活躍していた時代のKFCへの原点回帰であると語った。 2009年、KFC・インターナショナルは冷凍飲料の「クラッシャーズ」を発売した。この商品は、間食となるスナックをKFCのメニューに加えようとする試みで、10代の若者をターゲットにしていた。2010年4月には「ダブルダウン・サンドイッチ」が発売された。通常のバンズのかわりに2ピースのフライドチキンを使用したこの商品は、不健康な食品であるとの批判を受けた。「ダブルダウン・サンドイッチ」の売り上げは好調であり、2011年3月から2013年3月までの期間において全世界で1500万個を販売した。2012年9月、「チキンリトル・サンドイッチ」がアメリカ国内のメニューに復帰した。 2013年12月までに、KFCは全世界118の国と地域で1万8875店舗を展開していた。売上高では、KFCはマクドナルドに次いで世界第2位のレストランチェーンである。 2014年4月、ヤム・ブランズは中国における第1四半期の売り上げが11パーセント上昇したと発表した。中国での2013年度の売り上げは15パーセント下落していた。 2014年7月、中国当局はOSIグループ傘下の上海の事業者が、期限切れの鶏肉をKFCに納入していたとして、この業者を営業停止処分とした。ヤム・ブランズはただちにこのサプライヤーとの契約を解消し、この事件の発覚が「深刻な」売り上げの低下につながったと発表した。
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