チェコスロバキア、チェコ、スロバキア
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「軍服 (中・東欧)」の記事における「チェコスロバキア、チェコ、スロバキア」の解説
チェコスロバキア軍の軍服は、ロシア内戦当時のチェコ軍団に遡る。当初旧ロシア帝国軍の1907年制式ギムナスチョルカ、あるいは白軍に多く供与された英軍野戦服等を使用していたが、1917年の終わりごろから左腕に独自の階級章を用いるようになる。1918年末には新生チェコスロバキア政府より国防省令第434号および補足第434/1号で着用すべき被服の規定が通達され、1919年6月14日に襟章が制定された。帽子は1918年ごろからギャリソンキャップのほか、1919年ごろから「ウラジオストク型」(vladivostocký model)と呼ばれる山岳帽タイプの帽子が使用されるようになる。階級は下士官兵はイギリス式、将校はフランス式であった。チェコ軍団が全て帰国を終えたのちの1921年、将校用および兵用野戦服が制定される。軍服は引き続き英軍野戦服のような折襟の軍服であるが、帽子はウラジオストク型から英式の幅の広い官帽となり、オーストリア二重帝国の要素はほぼ一掃された。一方で、襟章の形状や隠しボタン式の野戦服など、フランスやドイツの影響もみられる。 将校用のVz.21/22野戦服は7つボタン、兵用のVz.21野戦服(BLŮZA VZ.21)は隠し5つボタンであったが、1930年にボタンホールが改定される(BLŮZA VZ.30)。1923年3月に礼装も制定された。一方、チェコスロバキア国家憲兵隊(チェコ語版)は1919年10月30日の国防省令第50.916-13号では「RCS」を組み合わせた帽章など独自の要素が見られたが、1921年5月27日の内務省令第9203-13号では菱形の帽章や階級の星章、鉢巻の色を除いては陸軍と大差ない形となった。ヘルメットは国産のvz. 32が制定され、「キノコ」「卵」などと呼ばれていた 戦後のチェコスロバキア人民軍の制服は将校は開襟、兵士は折襟で、略帽が先細りのピロートカ型になるなどソ連の要素を取り入れている。また、夏季は第1ボタンを開いて中シャツの襟を外に出す。1962年に将校の制服は帽章、ポケットのフラップの形状の改正があった他、1963年に兵士の制服は開襟となった。戦闘服では1960年にレインドロップカモやサラマンダー迷彩、1985年にカーキ色の単色戦闘服(vz.85)を導入したが十分な解決法とは言えず、同時期より新たな迷彩を模索していた。1992年に米軍ERDLを範とした4色迷彩を導入したが、ビロード離婚により少数がスロバキア側に出回ったのみで終わる。 現在のチェコ共和国軍は第1共和国時代の帽章を復古しつつも、ベレー帽など西側の要素を取り入れている。2005年より夏季制服はフランス風の生成り色となった。プラハ城警備隊(英語版)は帽章や制服などが異なる。戦闘服はvz.92迷彩の生産失敗後の1995年に導入されたものである。 初期のチェコスロバキア軍。ウラジオストク型の帽子には部隊番号が記載されているほか、後方にもベレー帽をかぶった兵士がいる(1919年6月) Vz.21/22着用の尉官(1935年) 陸軍少将(ルドルフ・ヴィエスト) 歩兵(1938年9月) 国家憲兵 スロバキア共和国軍将校 スロバキア共和国軍第18対空砲兵中隊。中央の人物は軍服が開襟となっている(1944年秋) vz.60戦闘服の上から個人装備を着用する人民軍兵士(後年の再現) vz.63制服(1972年) (1969年) 夏季制服着用のプラハ城警備隊員(2006年) 冬季制服着用のプラハ城警備隊員(2008年) プラハ城警備の儀仗兵(2005年12月) 陸軍少佐(2005年) 空軍少将(2011年) vz.95迷彩 スロバキア軍少将(1998年) スロバキア軍士官(2014年) 略帽を被ったスロバキア軍儀仗兵(2007年3月) スロバキア軍儀仗兵(2011年6月)
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