チェコアニメの黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:04 UTC 版)
「チェコのアニメーション」の記事における「チェコアニメの黎明期」の解説
1926年に広告画家のカレル・ドダルと彼の妻ヘルミーナ・ティールロヴァーによって製作された『恋する河童』がチェコ初のアニメーション作品とされている。その後、ドダルとティールロヴァーはロシアのアレクサンドル・プトゥシコが制作した『新ガリヴァー(英語版)』に触発され、人形アニメーションの制作に着手、1936年に人形と動画を組み合わせた『どこにでも顔を出すひとの冒険』、1938年に人形アニメ『カンテラの謎』を制作する。1939年にドダルはナチス・ドイツを避けて国外に亡命する。ティールロヴァーはチェコに残り、モラヴィアのゴッドヴァルドフ(現在のズリーン)に置かれたスタジオで製作を続け、1944年に人形アニメ『アリのフェルダ』を完成させる。映画史家のジョルジュ・サドゥール(英語版)はドダル夫妻の作品について、『世界漫遊家の冒険』『忘れられないポスター』、いくつかの抽象的な映像で注目すべき成果を挙げたと評した。 一方、1939年にチェコスロバキアを保護国としたドイツはプラハの映画会社AFIT(Ateliér filmového triku)を接収し、ディズニーに対抗するオペラ・アニメの製作を試みた。ドイツの計画は未完のまま終わったが、チェコ人たちは自ら『珊瑚海の結婚式』を製作し、終戦までに作品を完成させた。『珊瑚海の結婚式』の製作には、後にチェコアニメ界で活躍する監督、脚本家、デザイナー、アニメーターが多数参加していた。 第二次世界大戦の終戦直後、1945年にプラハに国立映画製作所が設置される。映画製作所の責任者に人形劇の美術やイラストレーションで活躍していたイジー・トルンカが就任し、トルンカ、ティールロヴァー、さらにカレル・ゼマンが本格的に活躍を開始した1945年は真の意味での「チェコアニメ誕生の年」と言われている。人形アニメによる表現を追求したトルンカ、人形アニメを振り出しに布・毛糸などを用いた物体アニメを製作したティールロヴァー、アニメと人間を組み合わせた映像を表現方法に選んだゼマンらは、それぞれのスタイルで1960年代までチェコアニメを代表する作家として活躍した。
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