チェコの欧州懐疑派による反発
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「リスボン条約」の記事における「チェコの欧州懐疑派による反発」の解説
チェコでは2008年4月24日、元老院において議員全70人中48人が、リスボン条約がチェコ国内法に反しないかどうかを憲法裁判所に審査することを求める決議を採択した。この決議によりチェコでは元老院、代議院ともにリスボン条約の批准についての審議を保留することとなった。 2008年11月26日、憲法裁判所はリスボン条約について判事全員が国内法に反しないと判断した。ところがこの判断に対してリスボン条約に批判的な立場をとる大統領ヴァーツラフ・クラウスは「憲法裁判所の判断はもっぱら政治的なものであり、司法の立場からなされたものではない」と述べている。他方で議会はリスボン条約批准の手続を開始し、2009年2月18日、代議院は批准承認に必要な全議員(200人)の5分の3をわずかに上回る125人が賛成した。ところが3月24日、チェコが2009年前半の欧州連合理事会議長国であるにもかかわらず、代議院においてミレク・トポラーネク政権に対する不信任決議が与党市民民主党の一部の議員の造反によって可決されるという波乱が起きる。政治情勢が流動化するなかで元老院での批准の見通しが一時は不透明となったが、5月6日に採決を行い、全議員79人中54人が賛成して批准が承認された。 議会での批准手続は完了したものの、クラウスは「アイルランドでの2度目の国民投票の結果が出るまで批准文書に署名しない」と発言してきており、さらには憲法裁判所に再度の審査を求めるよう、自分に近い元老院議員に促してきた。この動きに同調してイギリスの野党保守党党首のデービッド・キャメロンは、2010年に実施が見込まれている総選挙で政権を奪取したさいにはイギリスで国民投票を実施する意向を表明しており、この国民投票実施まで批准文書への署名延期をクラウスに求めた。くわえて2009年9月29日にイルジー・オベルファルゼルら市民民主党所属の元老院議員が憲法裁判所に対して再度の審査を求め、10月1日に憲法裁判所は審査を開始することを発表した。 2009年10月にアイルランドの国民投票でリスボン条約の批准が承認されたものの、クラウスは上述の憲法裁判所における審査の結果を待つとしたうえに、リスボン条約によって欧州連合基本権憲章が法的拘束力を持つようになると、第二次世界大戦後に旧チェコスロバキア政府がいわゆるベネシュ布告によって、追放したドイツ人などから没収した財産の返還請求訴訟を欧州司法裁判所に提起することができるようになると指摘した。クラウスはこのような事態を懸念し、条約協議のさいに盛り込まれたイギリスやポーランドに対する欧州連合基本権憲章の適用除外をチェコに対しても認めるように要求した。当時の議長国であるスウェーデンの首相フレドリック・ラインフェルトはこのクラウスの要求に応じ、同月29-30日に開催された欧州理事会の会合でチェコに対する欧州連合基本権憲章の適用除外を認めることを提案した。この提案に各国首脳は合意し、ポーランドとイギリスに対する欧州連合基本権憲章の適用除外を規定している、修正後の欧州連合条約および欧州連合の機能に関する条約の付帯第30議定書をチェコにも同様に適用することで合意した。 リスボン条約の違法性をふたたび審査していたチェコの憲法裁判所は2009年11月3日に、リスボン条約はチェコの国内法に違反することはないという判断を示した。欧州連合基本権憲章のチェコへの適用除外と憲法裁判所によるリスボン条約の合法性の確認を批准書への署名の条件としていたクラウスは、この2つの条件が満たされたことを受けて同日午後3時にリスボン条約に署名した。
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