ソユーズ-Mとは? わかりやすく解説

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ソユーズ

分類:ロケット


名称:ソユーズ(ソユーズ、ソユーズLソユーズUソユーズU2、ソユーズM)(Soyuz)
打ち上げ国名機関:ロシア(CIS)
開発機関・会社:ソ連科学アカデミー
打ち上げ場所:バイコヌール宇宙基地
運用開始年:1964年10月12日(ボスホート1号)

1957年ロシア(旧ソ連)は人類史初めての人工衛星スプートニク1号打ち上げ世界をおどろかせましたアメリカとの宇宙レースを、以後しばらくの間ロシアリードできたのにはある工夫ありました一挙に大きなロケット作るではなくナチス・ドイツ占領後手に入れたV−2号の技術応用した比較小型ロケットを、横に束ねてやろうというのです。
ソユーズ・ロケットは、1964年ガガーリンによる世界初有人宇宙飛行実現したボストーク・ロケット改良型で、アメリカではそれぞれA-2(SL-4)、A-1(SL-3)と呼ばれてます。どちらも有人宇宙船からとった愛称ですが、ソユーズ・クラスの改良型1967年1号初飛行した有人宇宙船ソユーズよりも以前1964年初飛行した有人宇宙船ボスホート号や、試験的にはさらに前からも使われいました

1.どんな形をし、どんな性能持っているの?
1段目は、発射時の燃料を含む総重量は101t、直径2.95m、全長27.8m、4基のエンジン推力101.633t。ゼロ段に相当するブースターは各重量42.75t、直径2.68m、全長19.6mで、1段目と同じ燃料構成エンジン4基の各推力は101t。2段目は、直径2.66m、全長6.74m、総重量25.4tで、推力30.408t。0~2段すべて、燃料液体酸素酸化剤ケロシン燃料とする液体ロケットです。
全体打ち上げ総重量は297.4t、積載物(ペイロード)収容部をのぞく全長34.54m、直径2.95m、発射時の実効推力は411t。高度200kmの軌道に、7.05tのペイロードを運ぶことができます

2.打上げ飛行順序はどうなっているの?
0段のブースター発射118噴射切り離されます。その後も1段目は噴射をつづけ、286秒間噴射後、2段ならびにペイロードから分離されます。2段目は250秒間噴射ののちに、ペイロード分離します。

3.どんなものを打ち上げたの?
ボスホートやソユーズに加えさまざまな科学衛星軍事用偵察衛星などに使われ、現在も、中規模積載物(ペイロード)打上げ主力となってます。

4.どのくらい成功しているの?
正確な数字わかりません

5.この他に、同じシリーズでどんな機種があるの?
L,U、U2、MなどのバリエーションありますL型ソ連時代有人飛行計画用に作られ着陸船地球軌道飛行実験使われました。U、U2は、1段・2段性能を向上、打ち上げ重量の向上をはかったものですが製造ライン問題から、1996年生産中止され、現在、ミール宇宙ステーションへの補給などには旧式のソユーズが使われています。M型は現在、開発中で、さらに打上げ能力が高まることから、高い緯度にあるため今まで機能制限されていた、ロシア本国内の発射基地プレセツクの活用期待されています。


ソユーズ-M

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/30 14:33 UTC 版)

ソユーズ-M
機能 打ち上げ機
製造 OKB-1
開発国 ソビエト連邦
大きさ
全高 50m
直径 10.3m
重量 300,000kg
段数 2段
積載量
LEOへの
ペイロード
6,600キログラム (15,000 lb)
関連するロケット
シリーズ R-7
打ち上げ実績
状態 退役
射場 プレセツク宇宙基地
総打ち上げ回数 8
成功 8
初打ち上げ 1971年12月27日
最終打ち上げ 1976年3月31日
特筆すべきペイロード ゼニット-4MT

ソユーズ-M(ロシア語: Союз-М)はソビエト連邦の使いきり型打ち上げ機GRAUインデックスでは11A511Mとされた。開発はOKB-1が行い、生産はサマーラ第一国家航空工場英語版が行っていた。

このロケットはもともと軍事用有人宇宙計画のソユーズ 7K-V1ロシア語版を打ち上げるため、ソビエト連邦軍向けに製造された。後にこの計画は中止されることになったが、同様の目的を持つソユーズ7K-S計画のためにロケットの開発は続けられた。しかしながら、この計画も最終的にはチェロメイOKB-52英語版の開発していたTKSに負けてキャンセルされ、ソユーズ-Mのさらなる開発は放棄され、製造されていたロケットは情報衛星の打ち上げのために再利用されることになった。

ソユーズ-Mの正確な詳細は知られていないが、後のソユーズUと類似する、2段式の初代ソユーズの派生型と考えられている[1]。ソユーズ 7K-Sのキャンセルの後、8基がゼニット-4MTの打ち上げに利用された[1]。初打ち上げは1971年12月27日に行われ、1976年3月31日に最後の打ち上げが行われた。打ち上げはすべてプレセツク宇宙基地で行われており、1回目は43/4射点が使われたとされるが、以降の打ち上げに使った発射施設は記録されていない。

  1. ^ a b Wade, Mark. “Soyuz”. Encyclopedia Astronautica. 2009年4月16日閲覧。


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