シムラ会議とは? わかりやすく解説

シムラ会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 03:51 UTC 版)

チベット (1912-1950)」の記事における「シムラ会議」の解説

1913年から14年にかけてシムラにおいて英国チベットガンデンポタン)、中華民国三者の間で会議開かれた英国ロシア中国モンゴルに対して初期行った合意のようにチベット人居住区を内チベットと外チベット分割する提案した。外チベットはほぼ現在のチベット自治区と同じ地域であり、中国の総主権の下に自治し、この地域では中国は「行政への干渉」を控える。一方、東カムアムドラサからなるチベットで宗教上で問題支配のみが保たれるとした。1908年から1918年中国守備隊カムにおり、地元王子はその司令官従属していた。 当時イギリス中国チベットを覆う宗主権認識しており、チベット中国の県変えないという中国政府との合意とともに中国領土一部同等にチベットの状態が断言されていた。 しかし、内チベットと外チベット明白な境界線関した点で交渉決裂すると、英国交渉長官であったヘンリー・マクマホンチベット-インド国境にマクマホンラインとして知られる線を引いた。この線によって英国おおよそ9000平方キロメートルものチベットの歴史領域、タワン県を併合した。これは現在のインド北東端、アルナーチャル・プラデーシュ州一致する。のちに中国政府はこのマクマホンライン不法に多く土地インド側へ変えた主張した。この地域インドではアルナーチャル・プラデーシュ州呼ばれ中国では南チベット呼ばれている。英国はすでに地元族長たちと合意締結して1912年には運営のために北西辺境地域立ち上げたシムラ条約は3者の代表団によって締結されたが、北京政府は外チベットと内チベットの間の国境書くこと対する不満からすぐに合意撤回したこのためマクマホンチベット人代表はこの合意示され全ての事柄において中国いかなる主張拒絶する通牒付託されたこの条約を、英蔵相条約としてサイン行った英国運営していたインド政府最初1907年結ばれた英露協商矛盾するとしてマクマホン相互条約拒絶した。しかし、マクマホンラインその後英国政府ならびに独立後のインド政府にとって国境捉えられた。一方中国視線立てばこの土地以前から中国領であり、中国チベット全域主権主張しているうえ、この条約サイン行っていないためにこの条約無効であり、インドによるこの地域併合運営違法であった。この双方認識違い1962年の中印紛争へと結びつき国境問題は現在も続いている。 1938年英国最終的に二国間協定としてシムラ条約発効しマクマホンライン以南のタワンの僧院ラサへ税を収めることを終えるように求めた歴史改訂する試みの中、C.U.アッチソンの「条約収集」のなかの関連ある巻に、図書を見る限り元々シムラでは拘束力のある合意には達することが無かったとの注釈付けられたものが発表されている。これは1929年の偽の発効日を持つ新しい巻に取り替えられ、それを中国ではなくチベットイギリス協定拘束力があると受け入れた述べた編集者解説付いたものが発表された。 当初英国政府シムラ協定正当性疑問持たせた1907年英露協商は、ロシア側から1917年破棄され1921年には英露双方破棄された。しかしながらチベット1940年ごろマクマホンライン位置変えた1947年遅くにはチベット政府新し独立インド外務省に、マクマホンライン以南チベット人地区対す主張述べられ書簡書いた中国政府シムラ書簡サイン拒んでいたことから、認識一致として、マクマホンライン正当性逃げた

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