サンダンスに対する弾圧と復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/09 14:11 UTC 版)
「サンダンスの儀式」の記事における「サンダンスに対する弾圧と復活」の解説
アメリカ合衆国では1881年に、インディアンの宗教が非合法化された(これはアメリカの憲法に違反している)。さらに1883年には、合衆国政府とカトリック教会が「サンダンスは野蛮な行いで、インディアンの開化を妨げる」としてこの儀式を禁止した。カナダではサンダンスは1895年に禁止された。以降、儀式の話をしただけで、彼らは白人に逮捕された。インディアンたちはこっそりと隠れるようにして彼らの儀式を行わなくてはならなかった。 1904年、合衆国はサンダンスを正式に非合法化した。白人たちはすべてのインディアンのダンスや行事を非キリスト教的な野蛮な習慣であるととらえていた。1923年、BIA長官のチャールズ・バークは、「すべてのインディアンのダンスは、1カ月に1回、1日だけしか行ってはならない」と制限した。さらに50歳未満のインディアンのダンスへの参加、また収穫期にこれを行うことも禁じた。 合衆国では「アメリカインディアン国民会議」などの粘り強い交渉で、ようやく1940年代になってフランクリン・ルーズベルトが「自虐行為以外」の宗教儀式を合法化したが、「ピアッシングの儀式」などの苦行はなお弾圧禁止された。マリー・クロウドッグ(レオナルド・クロウドッグの妻)は、「サンダンスの自己犠牲の祈りはキリスト教の十字架に匹敵するほどの力を持つため、カトリック教会の執拗なサンダンスの弾圧の背景には、これに対する畏れや敵視があったのではないか」と語っている。カナダで解禁されたのは1951年のことだった。 1968年にオジブワ族の若者たちによって結成された権利運動団体「アメリカインディアン運動」(AIM)は、「我々のインディアンを取り戻す」ことを目標に、激しい抗議行動を行い、白人による理不尽な規制や差別を実力行使によって破っていった。 かれらは強い民族回帰を前面に打ち出し、同化政策で奪われたインディアンの宗教儀式の復活を目標に掲げ、スー族の呪い師(メディスンマン)に協力を求めた。当時、スー族にはレイムディアーやマシュー・キング、ヘンリー・クロウドッグ、ウォレス・ブラックエルク、ビル・イーグルフェザー、ピート・キャッチーズ、ヘンリーの息子のレオナルドなど、スー族の伝統を固持し続けた伝統派が多数いた。彼らはAIMの若者たちに「スウェット・ロッジ」、「サンダンスの儀式」を教えた。やがて全米に広がった「レッド・パワー運動(英語版)」は、各地のインディアンたちに信仰を復活させ、スー族の「サンダンスの儀式」は全米規模の儀式となった。 全米でサンダンスが禁止されたなか、スー族では絶え間なく白人の目を盗んでこの儀式が続けられていた。しかし1950年代にサンダンスが解禁されたものの、それは部族会議(連邦政府の傀儡である)や「プラスチック・メディスンマン」(まがい物の呪い師)らによって、遊園地の出しものと抱き合わせにした有料の観光行事にされた。スー族ではこのような偽物のサンダンスが、パインリッジ保留地で行われていた。 1971年、これに対し、上に挙げたスー族の伝統派が、「本来の伝統的なサンダンスを取り戻そう」と、1890年にスー族同胞が大虐殺されたウーンデッド・ニーで伝統的なサンダンスを開催した。しかしこれを知った部族警察(連邦政府の傀儡である)が、見世物のサンダンスの邪魔になるとしてこれを妨害してきた。このサンダンスにはAIMの他、アルカトラズ島占拠事件で知られるジョン・トルーデルら血気盛んな「全部族インディアン」メンバーもいて、一触即発の事態となったが、部族警察は会場を占拠して続行不能となってしまった。 そこで彼らは合議の結果、そこから130㎞離れたローズバッド保留地にあるクロウドッグ親子の住む「クロウドッグ・パラダイス」でサンダンスの続きを行うことになった。しかしそこまで「サンダンスの柱」を運ぶにはトラックを使わねばならず、上記したような伝統的な作法にこだわるヘンリー・クロウドッグは難色を示した。結局、長老イーグルフェザーがワカンタンカに許しを乞うことでトラックが使われることになり、無事柱はローズバッドに運ばれた。 金目当てではない、派手な設備も何もない、伝統に則ったサンダンスがこうして復活した。柱の上空に鷲の群れが現れ、レオナルド・クロウドッグは「バッファローの頭蓋骨を身体にピアッシングで繋いで引っ張る」という苦行を自ら行い、この手法での苦行をおよそ100年ぶりに復活させた。以降、スー族の伝統派のサンダンスは「クロウドッグ・パラダイス」で毎年行われている。 この1971年からの「クロウドッグ・パラダイス」でのサンダンスでは、「背中にバッファローの頭蓋骨を12個繋いで走って肉を引きちぎる」、「胸に二か所ピアッシングをして、柱から吊るされる」など、1世紀前の激しいピアッシングが復活した。4日間連続でこれらを行う者もいる。10歳前後の児童もこのピアッシングに参加する。
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