サンダンスの儀式
サン・ダンスの儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 19:20 UTC 版)
「ネイティブ・アメリカン」の記事における「サン・ダンスの儀式」の解説
「サン・ダンス」とは、スー語の「ウィワンヤンク・ワチピ(太陽を見つめる踊り)」を英訳したものである。 平原の部族は、死ねば無条件で「狩猟の楽園」へ行くことができ、このため、今世は楽しみごとに費やすべきだと考えた。ただ、「大自然の力は放置すると衰退する」としてスー族やブラックフット族、シャイアン族、カイオワ族など平原部族の多くは、毎年夏至の頃に、大自然の回復と部族の繁栄を祈祷し、誓いを立てて大精霊に祈りを捧げるこのサン・ダンスの儀式を行う。 とくにスー族は、この儀式の中で最大の要として、「ピアッシングの儀式」を行う。これは、前年に「ピアッシングの誓い」を立てたものが、胸や背の皮膚に穴を開け、鷲の羽根や骨の棒を突き通し、バッファローの皮のロープで広場の中央に立てられたハコヤナギの「サン・ポール(太陽の柱)」と身体を結びつけ、メディスンマンの合図で皮膚がちぎれるまで太陽を見つめながら踊ったり走ったりすることで、大精霊に自らの肉体を捧げる苦行である。(図参照)。ピアッシングで最も苛烈なものは、バッファローの頭蓋骨を背中につないで走るもので、祈りの度合いによって頭蓋骨の数が増やされる。サンダンスで「ピアッシングの誓い」を立てた者は、翌年から毎年都合四回、必ずこれを行わなくてはならない。 このピアッシングの苦行はマンダン族が始祖とされる。かつてマンダン族の「オーキーパ(太陽の踊り)」は詳細なイラストとともに東部の白人社会にも知らされたが、彼らはこれをグロテスクな悪夢だとして本気にしなかった。この際、「ピアッシングは若者の勇気を試すもので、指導者となるための通過儀礼である」と説明され、現代でもこれに則った解説をする文献があるが、これは間違いである。19世紀のスー族の戦士は、このピアッシングについて、「自分の肉体は、自分にとって一番大切なものだから、これを大精霊に捧げるのだ」と説明している。 20世紀スー族のメディスンマン、ピート・キャッチーズは、サン・ダンスを「全ての儀式の『祖父』である」と述べ、またジョン・ファイヤー・レイムディアー(英語版)は、「白人は自分に都合よくなんでも簡単に片付ける。2000年前には自分達の代わりにイエス・キリストに苦痛を味わわせた。だが我々インディアンは自ら苦痛を引き受け、自分の身体でこれを体験し誓うのだ。『祖父よ、来年私は踊ります。わが肉体に串を刺し、誰かの回復に役立とう。我らの民を完全なものとするために』とだ」と語っている。 かつて白人によってサンダンスは野蛮な行為として弾圧を受け、インディアンたちはこれを隠れて行うしかなかった。インディアンたちの粘り強い交渉と説得により、フランクリン・ルーズベルトの時代になってようやくサンダンスが許可された。それでもピアッシングのみは絶対禁止されたが、レッド・パワーとともに復活され、スー族の伝統派、レイムディアーやマシュー・キング らによって全米に広められた。また近年になって規定が緩み、女性のピアッシングも見られるようになった。女性の場合は、手首に串を刺す。
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サン・ダンスの儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:03 UTC 版)
詳細は「サンダンスの儀式」を参照 スー族最大の儀式は、夏至の頃に行われる自然復活祈願の儀式、「ウィワンヤンク・ワチピ」である。これは「太陽を見つめる踊り」という意味で、「サン・ダンス」と訳される。盛夏の頃に行われる理由として、20世紀の呪い師、ヘンリー・クロウドッグは「チョークチェリーが実り、大地が緑を増し、若い男女が愛に向かう、二本足も四本足も総てが喜びに満ちる時だからだ」と説明している。 「サン・ダンス」における「ピアッシングの儀式」の始祖といわれているのはマンダン族の「オーキーパの儀式」で、これがシャイアン族、アラパホー族やスー族他平原の部族に広がる中、最も苛烈な「ピアッシングの苦行」(下項参照)が、スー族によって発展させられた。こういった肉体苦行は、キリスト教や他宗教にも見られる。 狩猟採集を生業としてきた平原のインディアンたちは、気候と連動した獲物の増減によってもたらされる飢餓の経験から、「大自然の力は衰えゆくものである」と考え、「サン・ダンス」で大精霊に祈り、自然の力が再び勢いを取り戻すように願う。 サンダンスは、インディアンの宗教観である「円」を象徴した広場で行われ、その中央に天辺が二股になったハコヤナギの若木の「チャン・ワカン(神秘なる木)」を建てるところから始まる。儀式全体を取り仕切る「クワ・キヤーピ(世話役)」によって選ばれた、4人の若者が斥候となり、「チャン・ワカン」を探し出し、部族に報告する。翌日、男も女も羽飾りやビーズ衣装で盛装し、馬に乗って「チャン・ワカン」を捕えに向かう(この木は戦における捕虜として扱われる)。木を切るのは4人の処女(偽りは許されない)が行い、絶対に地面に触れないよう広場まで運ばれる。 柱を立てる穴にはバッファローの脂が供物として入れられ、「柱を立てる歌」を全員で歌う。柱にはバッファローの皮で作った、バッファローと人間の小さな人形(男根を強調する)を豊穣の象徴として吊るす。柱の二股は、「ワキンヤン(サンダーバード)」の巣の象徴である。 この柱の周りで、踊り手は4日間、日の出から日没まで飲まず食わずで太陽を見詰めながら裏声で儀式の歌を歌い、「太陽の踊り」を踊り続ける。踊り手は腰布一枚の姿となり、顔をペイントし、首にまじないの包みを下げ、頭と手首にセージの輪をはめる。鷲の骨の笛を歯に挟み、踊りの間中、これを吹き鳴らす。この音に誘われて、実際に上空で鷲が集まれば吉兆である。踊り手が失神した場合でも水を飲むことは許されず、セージに浸した水が唇に垂らされるだけである。周りでは呪い師たちが声を限りに儀式の歌を歌い、太鼓を打ち鳴らす。
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