インレー湖の人々と産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 02:15 UTC 版)
「インレー湖」の記事における「インレー湖の人々と産業」の解説
インレー湖とその周辺にはインダー族が居住し、近隣の4つの都市、沿岸部に点在する村落、あるいは湖上で生活している。インダー族のほかにはシャン族、パオ族(英語版)、ダヌー族、タウンヨー族などが居住している。住民のほとんどは仏教を信仰しており、木と竹を組み合わせた簡素な家に住んで自給自足の生活を営む農家で構成される。インダー族は湖上の浅瀬に建てた高床式の水上家屋で生活を営み、伝統的には彼らの遺骸は湖の中に埋葬されるが、近年では陸上への埋葬も増加している。インダー族の家屋は藻や水草が集まってできた浮き島(チュン・ミョー)を集めたものを土台としており、その上に湖岸の土や固定の泥を載せて水中に沈め、浮き島に杭を立てて家屋を建てる。湖上、周辺の集落は職業別に形成されている傾向があり、インレー湖には自給自足的な経済圏が成立していると見なす向きがある。観光ツアーでは、インダー族の水上村落の葉巻工房、織物工房を見学することも可能である。 湖上の主な交通機関として、伝統的にフレーと呼ばれる小型のボートが利用されているが、ディーゼルエンジンを搭載した大型のボートも走っている。浮き島や水上に伸びる水草の間を通る必要があるため、フレーは舳先と船尾が反りあがった笹舟のような形をしている。フレーは通学や買い物、家や集落の行き来といった日常生活の足として使われるが、遠方に出かける時にはエンジン付きのボートも使われる。インダー族は片足で船尾に立ち、もう片方の足を櫂を操る独特のボートの漕ぎ方を実践していることで知られている。一説では、インダー族は陸に上がる機会が少ないため、足腰の筋力を鍛えるために考案されたという。しかし、立ち漕ぎを行うのは男性だけであり、船板に座って両手で櫂を操るのが慣習的な女性の船の漕ぎ方である。また、インレー湖独特の漁に、網を仕掛けた釣鐘状の枠を湖に沈め、湖底をかき回した時に浮かぶ魚を捕獲する伏せ網がある。湖で獲れた魚は住民の食卓に上り、現地で最も食べられている魚はンガペイン(nga hpein、インレー湖のコイ、インダー族のコイ)と呼ばれている。他にはフナ、ナマズ、ドジョウ、ライギョなど約20種の魚が水揚げされている。湖で穫れた魚はインレー地域以外に、シャン州の各地に出荷される。 漁業のほか、インレー湖上の浮き畑では野菜や果実が栽培されており、手作業によって整備されている。湖底に根を張ったホテイアオイなどの水草を土台として湖の泥を積み上げて浮き畑を形作り、流されないように竹竿で水底に固定している。浮き畑ではトマト、ナス、キュウリ、トウガラシなどの野菜が栽培され、ヒヤシンスなどの花も栽培されている。雨季に入ると浮き畑は水没するため、11月ごろに種が蒔かれ、翌年2月以降に収穫が行われる。しかし、浮き畑の増加は後述の環境問題を引き起こしている。 また、インレー地帯では稲作も重要な産業となっている。湖岸の山麓で稲作が行われ、早生が多く栽培されている。稲の収穫量はあまり多くなく、ほとんどがインレー地帯で消費される。 現地の人間が使用する手工芸品と、商用の手工芸品は異なるルートを通して流通している。代表的な工芸品には工具と彫り物が挙げられ、装飾品、織物、煙草(Cheroots)も製造されている。インレー湖畔の市場は湖の周辺の5つの地点を日々巡回する形で開催されているため、それぞれの場所で5日ごとに市場が開かれていることになる。市場では日常必需品が最も出回っている。市場が湖上のイワマで開催される日には小型の船の上で取引が行われ、湖の上の水上マーケットは他の4つの場所で開かれる市場に比べて観光ツアーに組み込まれることが多い。 インレー地域は独特の織物が生産されることで知られており、多くのビルマ人が日常生活でトートバッグとして使用しているシャン族の鞄の多くは、インレー地域で製造されている。手織りの絹織物も重要な産業であり、特徴的なデザインがされている高品質の織物は「インレー・ロンジー」と呼ばれている。1930年代にインレーの染色産業は一時的に断絶したが、タイで技術を学んだ職人によって再興された。ハスの繊維を利用した独特の生地はインレー地域でのみ作られており、ハスの生地からは仏像に着せる服(kya thingahn、ビルマ語で「ハスの着物」の意)が作られる。
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