アンティオキア包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:05 UTC 版)
詳細は「アンティオキア攻囲戦」を参照 十字軍本隊は1097年10月、アンティオキアに到着、包囲した。アンティオキアの守兵は少なかったが、多くの監視塔と堅固な城壁を持ち、西はオロンテス川、東は徐々に山を形成する攻略困難な地形で、頂上には砦を持ち、落とすに難く守るに容易い都市であった。アンティオキアの周囲を全て包囲できるほど軍勢がいなかったため、都市に対する補給を許すことになり、包囲戦は8ヶ月の長きに及んだ。アンティオキアの包囲が長引き、十字軍将兵が地震と大雨に怯え、飢餓に苦しみ人肉食まで行う中で、ボエモンはアンティオキアを自らのものにする要求を公言するようになった。 領主ヤギ・シヤーンと息子シャムス・アル・ダウラは果敢な突撃を繰り返し、都市を守り抜いたが、包囲されたままの状態は打開できなかった。助けを求められた近隣の諸侯は、シリア・セルジューク朝を分裂させて戦う2人の年若い兄弟のマリク(侯)、北シリアのアレッポのリドワーンと南シリアのダマスカスのドゥカークで、どちらも頼りになる人物ではなく、2人とも一致協力して戦う気もなかった。2人は模様眺めのために軍を出すが早々に逃げ帰る。 1098年5月、モースル(現在のイラク北部)のアタベク、ケルボガ(カルブーカ)がヤギ・シヤーンの頼みに応じ、軍を率いてアンティオキア救援に出発した。しかし、途中でエデッサの十字軍攻撃に立ち寄ってみたりと一向にアンティオキアに着かず、アンティオキア側にも焦りが出た。一方、敵に援軍が来ることを察知したボエモンは、モースル軍が到着より前に陥落を急ごうと、アルメニア人衛兵を買収して城門を開かせることに成功した。6月3日、十字軍部隊はついに城内に突入し、火を放ち多数の市民を虐殺した。領主ヤギ・シヤーンは城からの逃走中に倒れて死亡、息子シャムスがなおも山頂の砦に立て篭もって戦った。十字軍将兵が勝利に酔ったのもつかの間、数日後にはやっとアンティオキアに到着したケルボガらの援軍に逆に包囲され、城内から出られなくなってしまった。しかし、ケルボガらの援軍の士気は低かった。ダマスカス王ドゥカークが途中で軍を合流させたものの、ケルボガがアンティオキア解放後にシリアで大きな顔をすることを恐れていたので、ケルボガの兵隊に彼の悪口を流したためだった。 この時、一人の無名の修道士ペトルス・バルトロメオが3日間の断食苦行で、地下から十字架上のキリストを刺し貫いた聖槍を発見したと言いだした。教皇使節アデマールらは笑止千万な話だと考えていたが、多くの将兵はこれこそイスラム教徒に対する勝利の前触れだと信じた。十字軍将兵の士気は高まり、6月28日に城外に打って出た。ケルボガは城門から出る兵を個別撃破せず、後続の兵がまた城内へ戻らぬよう、全軍が出たあと一気に片をつけようとした。しかし、士気の低いダマスカス王ドゥカークらは次々に逃亡したため連合軍は崩壊した。当ての外れたケルボガが戦わず退却するところを十字軍は逃さず追撃し、勝利を収めた。 エデッサとアンティオキアの占領と略奪によって十字軍の欲求が満たされ、熱狂的な宗教的情熱をもつ諸侯や庶民・騎士を除き、多くの諸侯や将兵がエルサレムへの関心を見失い始めた。 詳細は「マアッラ攻囲戦」を参照 ここに至ってボエモンは、皇帝アレクシオスが十字軍部隊にあまり援助していないのだから、(占領した都市はすべて皇帝に引き渡すという)誓いは無効であると主張しはじめた。ボエモンはアンティオキアを我が物にしようとしていたのである。十字軍の指導者層はボエモンの主張に紛糾したため進軍は止まった。さらに疫病(おそらくチフス)の流行が軍勢を襲い、多くの兵や馬が命を落とした。疫病の犠牲者の中には教皇使節アデマールも含まれていた。諸侯は夏の行軍を避け冬を待ったが、軍勢は統一した指揮系統を失いシリアにとどまったまま行き場を失った状態で、住民も略奪に抵抗した。1098年の末には、シリアの都市マアッラ攻略の際、十字軍兵士達が市民を鍋で煮殺し串で焼き殺すという人肉食事件が起こる(マアッラ攻囲戦)。こうした迷走に、11月には諸侯らのアンティオキアでの会議に対して、巡礼者らがエルサレム行きを求めて突き上げを行う事件も起きた。1099年1月になってようやくトゥールーズ伯レーモンを中心にして指揮系統が回復、アンティオキアの私有化を主張するボエモンを後に残して軍勢はエルサレムに向かった。ボエモンはアンティオキア公国建国を宣言、アンティオキア公ボエモン1世となる。
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