アンティオキア城外の戦い
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「アンティオキア攻囲戦」の記事における「アンティオキア城外の戦い」の解説
6月28日月曜日、十字軍の将兵は、聖槍をかかげるレーモン・ダジールを先頭に、城門から城外へと突撃した。ケルボガにとっては城門を出る兵を個別撃破する機会であったが、部下の将軍たちは、攻撃すると後続の兵がまた城内に戻ってしまう、個別に叩くよりも十字軍全軍が出たあとに大軍で一気に片をつけよう、と主張し、ケルボガもこれに反対することは避けた。しかしケルボガらは、十字軍の規模を実際よりも少なく考えており、城外に出た十字軍全軍が思いのほか多かったことに気付く。 ケルボガ軍の弓兵や弓騎兵らは十字軍の騎士らに盛んに弓矢を浴びせた。ケルボガは退却を装って十字軍を不利な地形におびき寄せようとした。十字軍の左翼は川に守られていなかったため、ケルボガは分隊を出して攻撃を仕掛けたが、ボエモンはすぐさま7つ目の分隊を組織し、敵分隊を背後から撃破した。テュルク連合軍は十字軍に大きな損害を与え、アデマールの軍旗を持っていた兵士など多くが倒れた。ケルボガは自軍と十字軍の間の草地に火を放ったが十字軍はこれにひるまなかった。言い伝えによれば、十字軍は聖ゲオルギウス、聖デミトリオス、聖マウリティウスの3人の聖人が彼らと共に騎馬で進軍する幻を見たという。 戦いは短時間であった。十字軍がケルボガのいる戦列にたどり着く前に、ダマスカス王ドゥカークらは相手が多すぎると次々に逃亡してゆき、連合軍は崩壊状態となった。これによりケルボガの軍は人数での優位を失い、ケルボガも撤退を強いられる羽目になった。こうしてムスリムの連合軍は十字軍の前に敗北した。
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