アンティオキア州知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:27 UTC 版)
「アルバロ・ウリベ」の記事における「アンティオキア州知事」の解説
1995年から1997年までの任期でウリベはアンティオキア州知事に選ばれた。 在任中にウリベは自身の描いたコミュニタリアニズム的国家モデルを実践した。それは理論的には政策決定の過程への活発な市民参加によって構成されるものであり、このモデルは雇用、教育、行政の透明化、治安などの改良をもたらすのに有用であると主張された。 ウリベの政策には州政府自身の統計によれば公務員の34%削減や公用車の35%削減も含まれた。私立学校との契約により102,000人の定員が増やされ、4万人が平和的な紛争交渉のために訓練された。補助金を受けた保険制度への貧困層の加入者は120万人に上る、939kmの道路が舗装された(実際に当時よりアンティオキアの半分以上の道路が舗装されたと断定される)、通話可能な電話回線が2倍になった、奨学金の枠が増えた、とそれぞれ主張されている。ウリベは誘拐を60%減らし、メデジンと首都ボゴタの間の道路の安全を確保し、多くの歳出を削減することで州政府を財政再建に繋げた、と信じられている。 権力の範囲内でウリベは、1994年の2月11日のコロンビア国防省令によって創設された住民の相互監視組織の国家プログラムCONVIVIRを公然と支援した。CONVIVIRはすぐに議論の対象になった。 報告書ではいくつかの例でコミュニティに治安をもたらし軍に情報調整をもたらすという成果が得られたと主張されていた。しかし実際には厳密なそれら組織や作戦への監督もなされず、多くの構成員が民間人への暴力に関与していた。1998年にヒューマン・ライツ・ウォッチは「中マグダレナや南チェザール地域のCONVIVIRグループがよく知られた準軍組織に指揮されており、ゲリラのシンパと看做されたり、共同グループへの参加を拒否したコロンビア人を暗殺すると脅迫しているという信頼できる証拠を得ている」と声明した。 多くの政治的議論の末に1997年9月コロンビア憲法裁判所はCONVIVIRが機密情報を集めること及び軍事レベルの武器の携行は禁止されるべきであるとの決定を表明した。その他の規制によりCONVIVIRに対する法的な監督が強化されることが含まれたため、1998年の初めには武器や人員に関して収集した情報を供出しなかった数十のCONVIVIRグループは資格を停止されることになった。これらの手段によりいくつかは武器を提出し解散するものもみられた。制限された武器のうちの237つは1997年末までに権威の元に返された。そのほかのグループは応ぜず、AUCのような準軍組織に合流した。
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