アンティオキアの包囲とアレクサンドレッタの戦いとは? わかりやすく解説

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アンティオキアの包囲とアレクサンドレッタの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 01:13 UTC 版)

アレクサンドレッタの戦い」の記事における「アンティオキアの包囲とアレクサンドレッタの戦い」の解説

アレッポ キンナスリーン ダマスクス バールベック ホムス シドン タラーブルス ハマー アンティオキア ティベリアス湖 アレクサンドレッタ ラムラ エルサレム アルカ シャイザール タルソス 死海 ガザ ファラマ 戦闘が行われた時期シリアの各都市位置表した地図境界線現代国境ジャアファルダマスクス占領するとすぐに公約掲げていたビザンツ帝国対すジハード実行移し自身のギルマーン(奴隷兵の集団)の一人であるフトゥフ(「勝利」の意)に指揮委ねた。なお、15世紀イエメン歴史家のイドリース・イマードゥッディーン(英語版)は、著作の『ウユーン・アル=アフバール』の中で、指揮官としてアフー・ムスリム(英語版)の名を挙げている。フトゥフはベルベル人クターマ族による大軍編成しパレスチナシリア南部における徴兵で軍を強化すると、970年12月アンティオキア包囲開始したビザンツ帝国歴史家のゲオルギオス・ケドレノス(英語版)は、ファーティマ朝軍の規模100,000であった明らかに誇張され数字残しているが、イドリース・イマードゥッディーンは20,000人と記録している。 ファーティマ朝軍隊都市包囲したものの、アンティオキア住民激し抵抗示した14世紀歴史家のアブー・バクル・ブン・アッ=ダワーダーリーは、恐らくジャアファルシリア南部徴兵され部隊を「次から次へと」援軍として送らざるを得なかったと説明している。15世紀エジプトの歴史家のアル=マクリーズィーは、この説明続きとして、ジャアファルが4,000人の兵士充てたこれらの追加部隊によって都市に向かう隊商阻止し都市補給を完全に遮断することが可能になったと記している。 その一方でニケフォロス2世フォカス殺害者でその後継者であるヨハネス1世ツィミスケス在位969年 - 976年)は、より脅威であったルーシスヴャトスラフ1世在位945年 - 972年)によるバルカン半島への侵攻発生していたために、自ら東部軍事介入に向かうことができなかった。このためヨハネス1世都市支援するために家中信頼置いていた宦官同時代聖職者歴史家のレオン・ディアコノス(英語版によれば戦闘経験を持つパトリキオスであるニコラス指揮する小規模な軍隊派遣したその間アンティオキア対す包囲成果もないまま冬から春にかけて5か月続いていた。包囲中のある時点ファーティマ朝分遣隊 — アブー・バクル・ブン・アッ=ダワーダーリーによればアラスという名のベルベル人族長タルソス以前アミールであるイブン・アッ=ザイヤート(英語版)が率いる4,000人の部隊 — が、ビザンツ軍の救援部隊野営していたアレクサンドレッタ向けて北へ移動したファーティマ朝部隊接近知ったニコラス野営地から部隊退去させて伏兵置いた。敵の野営地放棄されているのを発見したファーティマ朝部隊何の注意払わず略奪始めたその瞬間ニコラスあらゆる方角から奇襲攻撃仕掛けファーティマ朝部隊壊滅したイスラーム教徒部隊のほとんどの者が殺害されたが、アラスとイブン・アッ=ザイヤートはどうにか逃げ延びることに成功したアレクサンドレッタでの敗北ファーティマ朝軍隊士気大きな打撃与えた。東アラビア興ったイスマーイール派過激な分派であるカルマト派ダマスクス対す進軍知らせ重なりジャアファル971年7月初旬アンティオキアへの包囲解いて撤退するようにフトゥフに命じた軍隊ダマスクス戻り、そこから個々部隊それぞれの出身地分かれて行った

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