アンティウム植民(紀元前467年)
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「ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス」の記事における「アンティウム植民(紀元前467年)」の解説
紀元前467年、ティベリウス・アエミリウス・マメルクスとクィントゥス・ファビウス・ウィブラヌスが執政官に選ばれたが、公有地法に関して新たな緊張が生じた。護民官は公有地を独占している富裕なパトリキを非難し、より公平な土地配分を要求した。 新たな内部危機を避けるため、執政官ティベリウス・アエミリウスは、前年に占領したウォルスキ都市で海岸沿いに立地するアンティウムに植民を行うことを提案した。ティトゥス・クィンクティウス、アウルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・カエリオモンタヌス、プブリウス・フリウス・メドゥッリヌスの3人が、植民希望者に対して土地を分配する役を担当することとなった。ティトゥス・リウィウスによると、植民を希望するローマ市民は非常に少なく、このためウォルスキ族にも土地が割り当てられることとなった。
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