アメリカの誤算
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1950年1月12日、アメリカ政府のディーン・アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」)し、台湾、インドシナなどとともに朝鮮半島には言及がなかった。これは、アメリカの国防政策において「西太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」という意味であったが、台湾や朝鮮半島は地政学上大陸と大洋の境界に位置していることや、長く日本の統治下にあったこともあって、判断が難しい地域でもある。またアチソンは、広く知られる上記の発言のあと「アメリカの安全保障に関するかぎり」(ここでアチソンが台湾と韓国を明らかに考えていた)「これらの地域への軍事的攻撃について何らかの保障ができる者はいない。そのような攻撃が行われた際には(略)最初は攻撃された人々に頼るしかないのだ。」と続け、彼らが断固として戦うならば国連憲章に基づき国連の裁定に訴えることができるだろうと、最後を曖昧に結んだ。 また、極東地域のアメリカ軍を統括していた連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーは占領下の日本統治に専念し、1945年8月に着任して以降、朝鮮半島に足を運んだのは1回のみだった。 中国大陸が共産化しても台湾不介入声明 まで出したトルーマン政権の対中政策を観察していた金日成は、朝鮮半島にもこれを当てはめて「アメリカによる西側陣営の南半部(韓国)放棄」を推察した[要出典]。
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アメリカの誤算
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1990年代初め、アメリカ合衆国は核融合の技術開発計画に関して2つの大きな選択肢を持っていた。1つは磁場閉じ込め方式であり、もう1つは慣性閉じ込め方式のひとつのレーザー核融合であった。当然これら2つは米国のみならず先進国の間では既知のアイデアであり、各国の核融合技術に関する研究者達も磁場閉じ込め方式のトカマク型がいいかヘリカル型がいいか、それとも慣性閉じ込め方式のレーザー核融合がいいかで検討がなされていたが、米国は1942年に始まる原子爆弾開発からの半世紀に渡る核物理学の研究実績の結果、水素爆弾の開発に関連した最高度の軍事機密であるコンピュータ・シミュレーションによって水素の核融合時の挙動を解き明かしたとの自負から、1990年半ばに他国に研究内容を一切明かさぬままローレンス・リバモア国立研究所内でレーザー核融合に関する実験施設の建設、つまり軍事研究としての性格を帯びたNIF計画(National Ignition Facility)を開始した。この秘密計画が順調に運んだため、米国は1999年にITER計画より離脱した。しかし、その年の末に設計上の大きな問題が隠蔽されていたことが判明し、必要予算は膨らみ、建設は大幅に遅れることが明らかとなり、計画は根本から見直されることとなった。全てをNIF計画に賭けていた米政府も、2003年2月にITER計画に復帰した。NIF計画は当初での建設費用は7億ドル以下であったが、1997年には21億ドルまで上昇し、2000年には33億ドルに増えて、完成予定も結局7年遅れる事となった。関連費用まで含めると50億ドルに届くとNIFの反対派は主張している。この誤算以前は米国も磁場閉じ込め方式で世界のトップの位置を日仏と争っていたが、ITER計画に再加入した時点では大きく後れをとっており、計画の主導的地位には戻れそうにない。今もレーザー核融合のNIF計画は継続している。
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