アメリカの補助貨幣の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 04:05 UTC 版)
「補助貨幣」の記事における「アメリカの補助貨幣の歴史」の解説
アメリカ合衆国においては1792年の貨幣法(Coinage Act of 1792)以来金銀複本位制であったが、1849年頃からのゴールドラッシュによる金価格の下落から銀相場が相対的に上昇し銀貨の鋳潰しや国外流出の懸念が生じたことから、1853年に1/2ドル以下の銀貨の量目が削減された。従来は1ドル銀貨に対し1/2ドル以下も額面比例の量目であり、1837年から1853年までは1ドル銀貨が412.5グレーン(26.73g)、1/2ドル銀貨が206.25グレーン(13.365g)、1/4ドル銀貨は103.125グレーン(6.68g)、1ダイム銀貨は41.25グレーン(2.67g)と同様に額面に比例し、すべての銀品位は900/1000であった。 1853年の法令(Coinage Act of 1853)では1/2ドル銀貨を192グレーン(12.44g)、1/4ドル銀貨は96グレーン(6.22g)、1ダイム銀貨は38.4グレーン(2.49g)と従来より約7%量目を削減して鋳潰しや海外流出を防止し、小額硬貨の不足の危機から逃れた。1ドル銀貨の量目は従来通りとされた。これは事実上の金銀複本位制からの離脱であり、1/2ドル銀貨以下は実質的に補助銀貨となった。このとき銀貨は最大5ドルまで法定通貨としての通用制限額が規定された。 1859年以降のネバダ州における膨大な銀鉱の開発から今度は逆に銀価格が下落し、1873年(Coinage Act of 1873)には完全に金銀複本位制が破棄され金本位制となり、1/2ドル銀貨、1/4ドル銀貨、1ダイム銀貨の硬貨が補助銀貨(subsidiary silver coins)として発行され、1/2ドル銀貨以下は量目を僅かに増加し1/2ドル銀貨は12.5g、1/4ドル銀貨は6.25g、1ダイム銀貨は2.5g、何れも品位900/1000だったが1ドル銀貨より額面当たりの量目が依然少なかった。このときは、1ドル銀貨は貿易銀(420グレーン、27.22g)(品位900/1000)として一般の通貨からしばらく姿を消した。1ドル銀貨は1878年から多量に発行されるようになり再び412.5グレーン(26.73g)、品位900/1000と元の量目・品位に戻った。金貨は無制限通用であったが、銀貨は法定通貨としての通用制限額は最大5ドルまでとされた。1878年2月のブランド-アリソン法案では、1ドル銀貨は法貨として無制限通用とされたが自由鋳造は認めず政府が市場価格で銀地金を購入し造幣局に輸納して銀貨に鋳造されることとなった。金銀複本位制への復帰の意見もあったが、1ドルも含め銀貨は補助貨幣に留まる折衷案定な解決となった。1879年6月には1/2ドル以下の銀貨の通用制限額が10ドルに引き上げられた。 1933年にはルーズベルト大統領は大統領命令6102号を発令してアメリカ市民の金保有を禁止し、金本位制・金貨の製造も停止された。同年施行された、農業調整法(Agricultural Adjustment Act)では銀貨の通用制限が撤廃された。翌年には政府の金買入価格が1オンス=35ドルと平価引き下げとなり、ブレトン・ウッズ協定に引き継がれたが、1976年には金・ドルの関連付けが放棄されアメリカは完全に金本位制から離脱することになった。アメリカの金貨も本位貨幣としての地位は失ったが、廃貨措置は取られておらず、金貨も含めすべての硬貨は無制限に法貨である。銀貨はそのままの量目、品位で1ドル銀貨は1935年まで、1/2ドル銀貨以下は1964年まで製造された。
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