アメリカの讃美歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:24 UTC 版)
1620年にピルグリム・ファーザーズがアメリカに上陸した時には、イギリスの詩篇歌(H.Ainsworth,1612)を歌っていたが、1640年には植民地独自の詩篇歌 Bay Psalm Bookを出版した。長らく詩篇歌のみで礼拝する時代が続くが、18世紀の中ごろより、アイザック・ウォッツの詩篇歌と讃美歌集が使用されるようになった。 独立戦争以降、アメリカでも創作讃美歌が作られるようになった。独立戦争から信仰復興運動までの第1期はイギリスの讃美歌の影響下にあった。18世紀のイギリスの讃美歌にあるような主観的、体験的傾向が強かった。 信仰復興運動が起こった、1860年代から1900年までが第2期である。この時代は、アメリカ独自の『福音唱歌』が作られた。大衆に合わせて、歌詞は平易で、旋律も歌いやすいものになった。その反面、文学的、音楽的価値に乏しい。 1900年以降の、第3期は社会的讃美歌が広まった。社会的讃美歌は社会問題をキリスト教的に解決しようとする運動に関係がある。個人の救いよりも、社会改革に重点を置いている。神の国、労働、人類愛、国際精神、世界平和などを主題にしている。 1960年以降、讃美歌に大衆音楽ポップスなどの要素を取り入れたコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックが発展して、社会的に影響を与えている。
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