アメリカの軍用犬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:03 UTC 版)
古くはセミノール戦争や、アメリカ独立戦争にて伝令犬としての運用記録があるが、第一次世界大戦期にはスタビー軍曹(英語版)などを始めとする兵士の士気向上の為の軍事マスコット(英語版)としての利用に留まり、本格的な軍用犬の運用は第二次世界大戦期より始まった。当初は太平洋の島嶼戦に於いて、日本人のみを選別して殺傷する目的で訓練が行われ、日本兵の捕虜を利用したり、日系アメリカ人部隊が訓練標的に志願した事などにより、大型犬を中心とする軍用犬部隊が組織されたが、彼ら自身が余りにも従順であった事と、前述の通り砲撃の轟音に弱かった事から数百万ドルの金銭的な損失を出したのみで終わり、このような攻撃犬としての運用は放棄された。戦後、こうした軍用犬のうち549頭が帰国したが、多くは戦時中のハンドラーにそのまま引き取られる形でしか市中に戻れず、最終的に4頭は市民生活に完全に復帰する事が出来なかった。こうした第二次大戦中の軍用犬で最も著名な犬がヨーロッパ戦線に於いてハンドラーを守る為にイタリア軍の機関銃陣地へ突入、そのまま陣地を陥落させるも負傷して退役、殊勲十字章やシルバースター、パープルハート章の授与を受けたチップス (犬)(英語版)であろう。 その後は主に地雷などの爆発物を検知する検知犬(英語版)や、歩哨犬としての運用が主となっており、ベトナム戦争では4,000頭以上の軍用犬を投入、ブービートラップの発見などで成果を上げているが、戦争終結後に帰国できた犬は僅か200頭余りだったと言われる。軍用犬の戦死や、敗走の際の遺棄などはハンドラーのベトナム帰還兵にもPTSDを患わせる結果を生んだ。彼らの多くは「軍用犬を戦地に見捨てる事は自らの子を置き去りにする事に等しい」と述べており、こうした事態を重く見た米国政府は2000年11月、ビル・クリントン大統領の署名により、「軍事作業犬の帰還プログラム」を成立させ、アフガニスタン紛争やイラク戦争に参戦した軍用犬が里親の元で適切に市民生活に復帰する為の取り組みを開始した。なお、犬に対する粗略な扱いがあった場合、軍法会議へかける正当性を担保するため、犬にはハンドラーと同等以上の階級が与えられている。 現在でも多くの軍用犬がアメリカ軍では運用されており、2011年にはNavy SEALsが運用するマリノア犬の「カイロ」が、海神の槍作戦(ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害)に参加して成果を挙げている一方で、イラク戦争に於ける捕虜収容所やグアンタナモ湾収容キャンプなどにおいて、尋問の際に軍用犬を捕虜や収容者にけしかける脅迫が用いられているとして新たな人道上の問題を生み出している。 2019年10月26日、ISIL指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーを急襲したカイラ・ミューラー作戦では、軍用犬コナンがバグダーディーを追い詰める最終的な役割を果たし、自爆に巻き込まれて負傷した。当初犬種と名前は、作戦に参加した部隊名を秘匿するために公表されなかったが、後にベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノアのコナンという名が明らかにされた。ドナルド・トランプ大統領は、コナンをツイッターにてアメリカの英雄と称えた。
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