原罪
英語:original sin
「原罪」とは、キリスト教の用語で、アダムとイブが楽園で犯した「神に背いた罪」のことである。人類の最初の罪であり、最も重大な罪であり、全人類がアダムの子孫であるために等しく負っている罪とされる。
イエス・キリストは、自ら犠牲となり十字架にかけられることで、人々の身代わりとなり、原罪をはじめとする人類の罪から人々を救おうとした(贖罪)。この意味で「原罪」はキリスト教の教義の根幹を成すといえる。
「原罪」の発端となる出来事は「創世記」に描かれている。エデンの園においてアダムとイブは「知恵の木の実だけは食べてはならない」と神から命じられていたが、この命に背いて知恵の木の実を食べてしまった。これが「神に背いた罪」であり「原罪」である。
キリスト教では、「原罪」によって人間は神から離れてしまった、人間と神との関係が断たれてしまったと説かれる。そこから苦しみや悲しみ、病気、死などを降りかかるようになったという。
「創世記」は「旧約聖書」の一部であり、ユダヤ教の聖典でもあるが、ユダヤ教はキリスト教のように「贖罪」を教義の根幹には据えておらず、したがって「原罪」を必ずしも重視しない。
キリスト教とは異なる文脈における「原罪」の意味
「原罪」は、基本的にはキリスト教の用語として扱われるが、キリスト教に直結しない意味合いで用いられることもある。たとえば、社会的・倫理的な観点において「人間が生まれながらに備えている性格や人格に由来する欠陥・弱点・悪い癖など」を指して「原罪」の語が用いられることがある。あるいは、「先人の過ちに対する非難などを直接に非があるわけではない後世の者が被る」ような状況を「原罪」と表現する場合もある。
こうした意味合いにおける「原罪」は、おそらくは、「人間が先天的に備えている悪い部分」をキリスト教の用語としての「原罪」になぞらえた表現であろうと考えられる。
「原罪」と「贖罪」の違い
「原罪」と「贖罪(しょくざい)」は、どちらもキリスト教の教義の根本にかかわる重要な概念であり、ある意味で対になる概念である。「原罪」とは、最初の人間であるアダムとイブが犯した罪の責任が、彼らの子孫にまで及ぶという考え方である。人は生まれつき罪を負っている、ということである。
「贖罪」とは、罪を償う(贖う)ことであり、特にイエス・キリストが人々の代わりに犠牲となることで人々が罪から解放されることである。
原罪は全人類が負う根源的な罪であるが、キリストによって贖われ、それにより人類は救済されるわけである。
「原罪」を含む様々な用語の解説
「原罪と福音」
「原罪と福音」は、キリスト教における教義としては「人々が根源的に負っている罪と、その罪から人々を救済するためにイエス・キリストがもたらした啓示」を意味する言葉である。「原罪と福音」は、2021年に東京事変が発表した曲のタイトルでもある。歌詞中には「十字架」「蘇れ」「傷」「審判」「Glory(天国)」といった、キリスト教の教えを想起させる言葉が散りばめられている。
「原罪のレクイエム」とは
「原罪のレクイエム」は、KOTOKOによる曲のタイトルである。2006年に発表されたアダルトゲーム「プリズム・アーク」の2ndオープニングテーマ。いわゆるエロゲに起用された曲ではあるが、曲そのもののクオリティや評価や人気は高く、カラオケ曲にもなっていたり、2020年にYouTubeのKOTOKO公式チャネルで公開された曲が2023年前半までに200万再生を超えたりしている。げん‐ざい【原罪】
げん‐ざい【現在】
読み方:げんざい
[名](スル)
1 過去と未来の間。過去から未来へと移り行く、今。また、近い過去や未来を含む、今。副詞的にも用いる。「数千年の時を経て—に至る」「—のところ見通しは立っていない」「—、出張中です」
2 (時間を表す語の下に付き、接尾語的に用いて)変化する物事の状態をある時点で区切って示すときの、その時点。「八月末日—の応募者数」
3 現に存在すること。目の前にあること。「—する最重要課題」
4 (「現在の」の形で血縁関係などを表す語を修飾して)正真正銘の。まぎれもない。
5 (副詞的に用いて)明白な事実であるさま。また、近い将来そのことが実現するのが確実であるさま。
げんざいと同じ種類の言葉
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