「東京高等師範学校」時代 (1902-49)
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1902年(明治35年)4月 - 広島高等師範学校設立に伴い「東京高等師範学校」と改称。 1903年(明治36年)1月 - 高等師範学校規程中の改正により本科を5部構成とする。国語漢文部・英語部・地理歴史部・数物化学部・博物学部を設置。 4月 - 小石川区大塚窪町の新校舎に移転。 7月 - 生徒の徽章と襟章を定める。 1905年(明治38年)4月 - 初めて自費生の入学が許可される。 1911年(明治44年)4月 - 東京・広島2高師の卒業者を対象に修業年限2年の専攻科を設置。(のちの文理科大学設立の母体) 1914年(大正03年)6月 - 附属教育博物館を分離し、「東京教育博物館」として独立。 1915年(大正04年)2月 - 高等師範学校規程の改正により学科を文科・理科・特科(体育科)を設置。共通科目として修身・教育学・心理学・論理学・国語・英語・体操など。 1919年(大正08年)12月 - 東京高師の大学昇格運動開始。 1920年(大正09年)2月- 第1回東京箱根間往復大学駅伝競走で優勝する 1921年(大正10年)4月 - 体育科が文科・理科と対等の本科となる。体操・遊戯・競技、柔道、剣道の3専攻を設置。 8月 - 講堂において大日本学術協会主催の「八大教育主張講演会」開催。 1922年(大正11年)4月10日 - 臨時教員養成所を附設(第一臨時教員養成所、以下後出)。 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災で文部省と東京女子高等師範学校が焼失したため、文部省は本館内に仮事務所を設け、女高師は東西両館に仮教室を開いた。 1929年(昭和04年)4月1日 - 東京文理科大学設立によりこれに附置される。 1932年(昭和07年)2月 - 3年修了者に大学への進学が認められることになった。 1943年(昭和18年)3月8日 - 師範教育令中改正により修業年限4年となる。師範学校は旧制専門学校と同格となったため、その教員は養成の対象から除外され、中学校および高等女学校のみの教員養成にあたることになった。 1945年(昭和20年)5月 - 空襲により本館など施設の大半を焼失。
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