「東京高等師範学校」時代とは? わかりやすく解説

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「東京高等師範学校」時代 (1902-49)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:57 UTC 版)

東京高等師範学校」の記事における「「東京高等師範学校」時代 (1902-49)」の解説

1902年明治35年4月 - 広島高等師範学校設立に伴い東京高等師範学校」と改称1903年明治36年1月 - 高等師範学校規程中の改正により本科を5部構成とする。国語漢文部・英語部地理歴史部・数物化学部博物学部を設置4月 - 小石川区大塚窪町新校舎移転7月 - 生徒徽章襟章定める。 1905年明治38年4月 - 初め自費生入学許可される1911年明治44年4月 - 東京広島2高師卒業者対象修業年限2年専攻科設置。(のちの文理科大学設立母体1914年大正03年)6月 - 附属教育博物館分離し、「東京教育博物館」として独立1915年大正04年)2月 - 高等師範学校規程改正により学科文科理科特科体育科)を設置。共通科目として修身・教育学・心理学・論理学国語・英語・体操など。 1919年大正08年)12月 - 東京高師大学昇格運動開始1920年大正09年)2月- 第1回東京箱根間往復大学駅伝競走優勝する 1921年大正10年4月 - 体育科文科理科対等本科となる。体操遊戯競技柔道剣道の3専攻設置8月 - 講堂において大日本学術協会主催の「八大教育主張講演会開催1922年大正11年4月10日 - 臨時教員養成所附設第一臨時教員養成所、以下後出)。 1923年大正12年9月 - 関東大震災文部省東京女子高等師範学校焼失したため、文部省本館内に仮事務所設け女高師東西両館に仮教室開いた1929年昭和04年)4月1日 - 東京文理科大学設立によりこれに附置される。 1932年昭和07年)2月 - 3年修了者大学への進学認められることになった1943年昭和18年3月8日 - 師範教育令改正により修業年限4年となる。師範学校旧制専門学校同格となったため、その教員養成対象から除外され中学校および高等女学校のみの教員養成にあたることになった1945年昭和20年5月 - 空襲により本館など施設大半焼失

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