「東南互保」宣言とは? わかりやすく解説

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「東南互保」宣言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:48 UTC 版)

義和団の乱」の記事における「「東南互保」宣言」の解説

詳細は「東南互保」を参照 西太后が「宣戦布告の上諭を出して列強への態度明確化した頃、両江総督劉坤一湖広総督張之洞両広総督李鴻章地方の有力官僚らは、この上諭を偽詔とした上で従わない宣言し、そして義和団の鎮圧動いた。また列強各国領事と「東南互保」という了解を結び、義和団騒擾中国北部限定するようし向けた具体的には、盛宣懐張謇地方大官各国領事の間を奔走し、「保護南省商教章程」9か条と「保護上海租界城廂章程10か条を結び、外国人生命及び財産列強進攻しない限り保護することを確約した。 この「条款」は清国東南位置する地方総督巡撫といった大官と列強との利害一致したため成立した。 いわば、清朝地方大官僚たちが結託して地方利害優先させ、義和団影響及ばないよう先手をうったといえる。これは明らかに西太后の命に背くものであったため、剛毅らは弾劾上奏行ったが、西太后特段処分を下さなかった。それは西太后保険であったためである。つまり列強との戦争雲行き怪しくなった場合備え、「東南互保」を暗黙裡認め敗戦の総責任を負うことを求められないようにした政治的駆引き一つであった実際後述するように西太后は、義和団の乱に関して何ら責任追及受けていない。

※この「「東南互保」宣言」の解説は、「義和団の乱」の解説の一部です。
「「東南互保」宣言」を含む「義和団の乱」の記事については、「義和団の乱」の概要を参照ください。

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