「東京物理学校維持同盟」の発足
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「学校法人東京理科大学」の記事における「「東京物理学校維持同盟」の発足」の解説
寺尾寿らを始めとする東京大学理学部仏語物理学科の初期の出身者(第3回までの卒業生及び中退者)21名は、同学科が3回の卒業限りで廃止されるのをきっかけに、物理学普及のための活動を行うことを決めた。彼らは当初講演会(街頭演説会)を企画したが、自由民権運動との関係で講演会の開催が許されなかったため、夜学校の設立に踏み切った。こうして1881年(明治14年)6月13日、東京理科大学の前身となる私立夜学校「東京物理学講習所」の設立広告が出されたが、21名の設立者はいずれも公務に就いていた者ばかりであり、余暇を使って無給で講義を行っていた。さらに開校当初は生徒がなかなか集まらず、講習所は経営難に苦しんだ。 そのため講習所が東京物理学校と改称された(1883年9月)のち、1885年9月、設立者21名中の16名により「東京物理学校維持同盟」が結成され、同盟者が資金を出し合って学校運営に充当する体制が確立された(「東京物理学会維持同盟規則」では同盟者の休講に際して罰金の支払いが義務づけられている)。これにより学校運営はようやく軌道に乗り、学生数も増加していった。
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