「東国政権」論とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「東国政権」論の意味・解説 

「東国政権」論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:49 UTC 版)

鎌倉府」の記事における「「東国政権」論」の解説

伊藤喜良は「東国国家論」から少し離れた立場から論じている。鎌倉公方自身政務天皇から直接委任された「天子御代官」と認識していたことから、鎌倉府東国担当する東国政権」ではあるが、王権からは独立しておらず、独立国家とはみなせない。しかし、京都室町幕府から自立志向持ち少なくとも応永年間(1394-1427年)以降は、幕府地方統治機関ではなく地域ブロック権力」であるとしている。「東国国家論」と比較される権門体制論」の視点に近い。

※この「「東国政権」論」の解説は、「鎌倉府」の解説の一部です。
「「東国政権」論」を含む「鎌倉府」の記事については、「鎌倉府」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「東国政権」論」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「東国政権」論」の関連用語

1
4% |||||

「東国政権」論のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「東国政権」論のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鎌倉府 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS