『銀の匙』授業とは? わかりやすく解説

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『銀の匙』授業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 09:32 UTC 版)

橋本武」の記事における「『銀の匙』授業」の解説

生徒の心に生涯残り生きる糧となる授業をしたい」との思いから、1950年新制灘中学校新入生担当することになった時点から、「教科書使わず中学3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業開始する。単に作品精読熟読するだけでなく、作品中の出来事主人公心情追体験にも重点を置き、毎回配布するガリ版刷りの手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛け施され様々な方向への自発的な興味促す工夫凝らされていた。同年10月東京教育大学(現:筑波大学教授山岸徳平授業見学し、「横道外れすぎではないか」との批判受けたが、これこそがこの授業最大目的とする所であった授業流れは、通読する寄り道する追体験する徹底的に調べる→自分考える(各章タイトル付け要約自作の『銀の匙』づくり)の順を追う具体的には『銀の匙 中勘助 橋本武案内』(小学館文庫2012)に詳しい。 橋本こうした授業思い立ったきっかけは、小学校三年の時、真田幸村塙団右衛門直之,三好清海入道などの講談本使った国語授業楽しかったことと、東京高等師範学校時代に『大漢和辞典』の編集作業手伝い、じっくり考える、きっちり調べるという漢文学者諸橋轍次姿勢を目にしたことによるまた、終戦後教科書黒塗り直面したことも教科書捨てきっかけとなったという。 教材として『銀の匙』を選んだ理由としては、主人公十代少年であるので生徒たち自分重ね合わせ読みやすい夏目漱石激賞したほど日本語美しい、明治期日本緻密に描いているため時代風俗考証対象しやすい新聞連載であったため各章短く授業取り扱いやすい、やや散文的に書かれているため寄り道しやすいといった点を挙げている。 この授業受けた最初生徒たちが、6年後の春に東京大学15合格1956年新制8回生)、更にその6年後には東京大学39名・京都大学52合格1962年新制14回生)、また更に6年後には132名が東京大学合格し東京都立日比谷高等学校抜いて東大合格者数全国一位となる(1968年新制20回生)。その後6年おきに120名(1974年)、131名(1980年)が東大合格という快挙成し遂げる。「1教科1教師持ち上がり担当制で6年間の中高一貫教育を行う」灘校において、橋本信念実力情熱により実現した授業であったが、これら進学実績の向上は、当初からの目的とされたものでは決してなく、あくまでその成果一つに過ぎない

※この「『銀の匙』授業」の解説は、「橋本武」の解説の一部です。
「『銀の匙』授業」を含む「橋本武」の記事については、「橋本武」の概要を参照ください。

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