「佐村河内守」名義で発表された作品と評価
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「新垣隆」の記事における「「佐村河内守」名義で発表された作品と評価」の解説
2014年(平成26年)2月6日発売の『週刊文春』誌上にて、神山典士が「佐村河内守の楽曲は新垣隆によるものである」というスクープ記事を発表した。同日、新垣隆は、佐村河内守からの依頼で、20曲以上を提供し、報酬として約700万円を受け取っていたことを記者会見で明らかにした。金銭のトラブルはなく、今後も佐村河内を訴訟する予定はないとのこと。提供した作品の著作権については、「放棄する」と語った。 代作の実態については「彼は実質的にはプロデューサーだった。彼のアイデアを実現するため、私は協力をした」、「彼が依頼し、私が譜面を作って渡すという、そのやり取りだけの関係」、「彼と私の情熱が非常に共感し合えた時もあったと思う」などと語った。 佐村河内から作曲の依頼を受けた作品は、映画『秋桜』への音楽が最初のものであった。その後、カプコンのゲーム『バイオハザード ディレクターズカット デュアルショックver.』と『鬼武者』の作曲を担当。交響組曲のCD収録の際は新垣自らが指揮をしたという後者は、特に関係者の間では評価が高かったという。 これらの作品はいずれも基本的には調性音楽として書かれ、作風はロマン派的なものである。 交響曲第1番 HIROSHIMA この曲は最も高い評価を受け、CDの売上記録をはじめ、全国ツアーとして全国30ヵ所において順次開催され、全国各地の12のオーケストラが演奏する近年クラシック界では稀にみる規模の企画として特筆すべきものであった。 直木賞作家、五木寛之の「乾いた心を打たずにはおかな」かったばかりか、佐村河内守の亡くなった弟とそっくりとして主催者のサモンプロモーション代表へ紹介され、後に殆どの指揮を任されることになる指揮者・金聖響、この交響曲と同様に調性による作品を創作の中心としていた作曲家、三枝成彰や吉松隆を始めとして、クラシック界のアーティスト達からも賞賛を浴びた。 金聖響は「フィナーレに達するまでのこの曲は、まさしく作曲家ご自身が経験されてきた苦悩や絶望の70分間だと思います。美しくも力強い協和音的絶対音楽のなかに、深いドラマが存在する作品として、異常なほどの力を感じております。演奏者に求められる技術と体力は相当なもの」と最大の賛辞をコンサートパンフレットに寄せ、三枝成彰は交響曲第1番 HIROSHIMAについて、「私がめざす音楽と共通するところを感じる」とした。また、吉松隆は「すべての聴き手を巻き込む魅力に富むと同時に見事に設計された傑作だと確信する」と賞賛した。音楽評論家の許光俊は、同作を「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」と評し、「これに比べれば、ショスタコーヴィチですら軽く感じられるかもしれない」と述べている。 これに対し、新垣が自身の名義で発表した作品を「曲に運動神経があって面白かった」と評価した渋谷慶一郎は『交響曲第1番 HIROSHIMA』について[信頼性要検証]、「音楽としては全然面白くないね。聴力があってもなくてもつまらない」[信頼性要検証]と述べている。 尚、続報として、この曲による全国ツアーのメイン指揮者だった金聖響が、この曲の知名度を利用して、寸借詐欺まがいの行為を繰り返していたと週刊文春により報じられている。 ヴァイオリンのためのソナチネ 義手のバイオリニストの少女の存在を知った佐村河内が、少女に作曲、贈呈したとされた曲であった。作曲後、佐村河内を特集したテレビ番組で、この「美談」が紹介されたが、放送終了後に佐村河内から少女の家族に「お宅は私のお蔭で娘がテレビに出られたのにもかかわらず、私への感謝の気持ちがなさすぎる」というメールが届いた。これに驚いた家族が「いままでお世話になったことは感謝しているけれど、我が家から娘をテレビに出してほしいと頼んだことは一度もない」と返信したところ、佐村河内は激怒し、最終的に両者は絶縁状態となった。一方で、実際にこの少女の家族と古くから親交があったのは新垣であり、少女が4歳の頃からヴァイオリンの発表会などで伴奏を務めていた。佐村河内に困惑した少女の家族が新垣と神山典士に相談したところ、新垣が真相を話した事が、一連のスキャンダルが暴露される一つの発端となった。 この曲は、2014年のソチオリンピックで、髙橋大輔のショートプログラムに使用する予定になっていたため、事実の露見を受けて髙橋大輔側は国際スケート連盟に、作曲者を不明 (Unknown) として登録し、採用された。 新垣は、「この事実を知って(髙橋が)受けるショックを考えると…」と悩みつつも、「日本を代表してオリンピックで活躍する髙橋選手までもが、佐村河内さんと私のウソを強化する材料になってしまう」という思いから、告白に踏み切ったという。また新垣自身は、この曲について「自分で言うのもおかしな話ですが、この曲は五輪という大きな舞台で鳴り響く資格のある、素晴らしい曲だと自負しています。髙橋選手には、堂々と自信をもって演技して欲しいと心から思っております」と述べている。 オリンピック直前の発表について髙橋大輔は、「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と苦笑しながら語っており、『ニューヨーク・タイムズ』(電子版)は「最悪のタイミング」と評している。 一方で髙橋大輔は、「でも正直、彼の背景とかを全く知らずに曲を選んだ。作った人が誰であろうと、どういう形だろうと素晴らしい曲」と、曲自体は高く評価しており、「この曲でスケート人生の最後を滑れることをうれしく思う」と語った。世界選手権でもこの曲を使用する予定であった。
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