「佐伯天皇」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:28 UTC 版)
高校野球での不祥事がニュースによって話題になると、 「『佐伯天皇』の時代だったら即対外試合出場停止だった。あの頃を見習って処分を厳しくすべき。」 「『佐伯天皇』の時代を繰り返してはいけない、今回の処分は妥当。連座責任なんて時代錯誤だ。」 といった声が聞かれることがある。これこそが没後もなお、「佐伯天皇」と恐れられ、功罪が分かれやすい人物となっている所以である。 佐伯は、高野連加盟校の不祥事に対しては、厳格な対応で望むことで知られていた。野球部員の不祥事はもちろんの事、野球部以外の一般生徒による不祥事、加盟校に通学する不良学生が「番長を決めるための決闘に参加した」、加盟校のファンが暴動を起こしたなどのケースも対外試合禁止処分を科したり、選抜出場辞退を迫った。佐伯は、「高校野球は教育の一環」と見なして不祥事には厳しい対応で臨んだ。しかし、こうした連帯責任の適用は、都道府県連盟の会長・役員や、加盟校の選手・監督らを恐れさせるもので、社会からの批判も受けている。 佐伯は、球児に対しては労いをかける優しさを持っていたが、不祥事に関しては何もなしであった。このため、不祥事で出場の道を閉ざされた経験のある江本孟紀・大沢啓二・張本勲等からは今でも「佐伯天皇」の名前を口にするのを避けるほど非難されている。彼の没後に会長となった牧野直隆は、「佐伯天皇」時代の反省から、連帯責任を緩和している。
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