「世紀末」の意味するもの
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『サロメ』ビアズリーがオスカー・ワイルドの戯曲のために描いた挿絵。1892年 エドワード・バーン=ジョーンズ『アーサー王最後の眠り』1898年 ロートレック『ムーラン・ルージュ』1889-90年 ロートレック『写真家セスコー』1894年 ルドンの幻想的な作品『シーター』1893年 フランス象徴派の詩人たちと交流をもったルドンの『キュクロプス』1898-1900年頃 ムンク『叫び』1893年 クリムト『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』1907年 クリムト『死と生』1907-1911年 シュトゥック『サロメ』1906年 モロー『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』1866年 モロー『ユピテルとセメレー』1894-95年 ミュシャ『プラハ聖ヴィート大聖堂のステンドグラス』 エミール・ガレの花瓶、1898年 ドーム兄弟の花瓶、1900年頃 オットー・ワーグナーの建築『カールスプラッツ駅』 ガウディ『サグラダ・ファミリア教会』1882年 - レヒネル・エデン『ブダペスト工芸美術館』1896年 アドルフ・ロース『ミヒャエーラープラッツのロースハウス』1911年 シーレ『予言者』1911年 サミットは、画家チェザーレ・サッカギ・ダ・トルトナによる明らかに象徴的な作品です。 世紀末ということばは、語彙としては古くより存在したものであるが、1886年にパリで上演された風俗喜劇『ファン・ド・シエクル(fin de siècle, 世紀の終わり)』が大当たりして以来、広く知られるようになったと云われている。それ以来、19世紀末のヨーロッパの時代思潮にみられる諸特徴を称して呼ばれるようになった。一般には、このことばは、ひとつの時代の転換期に特有な文化的な現象や諸形態、とりわけ終末観あるいは終末の予兆を指しているといわれており、デカダンス(退廃)やスノビズム、懐疑主義などとほぼ同義で用いられることが多い。ただし、用法および概念においてそれぞれが必ずしも一致するわけではなく、また、その特徴とされるものの多くは、いずれも世紀の終わりに至って急に現れ出たものというよりは、19世紀を通じてその底部に流れていた潮流や気分といったものが一気に顕在化したものと捉えることができる。 つまりは、19世紀初頭にはじまったバイロンやハイネ、レオパルディ、ミュッセなどのロマン主義に内包されていた「世界苦」の思想や厭世的傾向が、人間のもつ獣性や醜悪な部分にも目を向けたギュスターヴ・フローベールらの写実主義あるいはエミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサンらの自然主義によってあらためて注視され、またエドガー・アラン・ポーらが提示した空想的芸術、さらには、現実から離れ、それ自体独自な人間精神の世界へ目を向けた高踏派などを経て表出したものとみなすことができる。「世紀末」といったときに、上に掲げたデカダンス以下の諸傾向とともにペシミズムや刹那的享楽主義、「美のための美」を追求する芸術至上主義や耽美主義、あるいは逆に唯物主義を含意することが多いのも、19世紀の思潮全体の推移を俯瞰してこそ理解が可能となる。「世紀末」とはこのとき、様々な思潮が現れては交錯し、対立する場でもあったのである。 言い換えるなら、19世紀前期のロマン主義や、中葉の写実主義、自然主義というふうに、一つの大きな流れにまとめられないところに、「世紀末」の芸術ないしは文学運動の特色があったともいえる。
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