「世紀の結婚」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 06:18 UTC 版)
「マーガレット・オブ・ヨーク」の記事における「「世紀の結婚」」の解説
1468年6月18日、マーガレットはブルゴーニュ公シャルル(突進公)との結婚のため、ロンドンを発った。6月25日にヨーロッパ大陸側ゼ―ラント伯領のスロイスに到着し、ここでシャルルの代理人と婚約式を執り行った。7月3日、ダンメ(仏:ダム)でソールズベリー司教の手により、シャルル突進公と結婚式を執り行った。そして、同日、6km南西にあるブルッヘ(仏:ブリュージュ)への入市式を行った。 入市式は壮麗なもので、シャルルをキリストに、マーガレットをキリストの花嫁に例えた、数々の出し物(パジェント)が催された。さらに、市民、聖職者、そして商人が行進した。この様子は「世紀の結婚」(The Marriage of the Century)と呼ばれた。また、二人の婚姻に際し、シャルル突進公からは金羊毛勲章を、エドワード4世からはガーター勲章をそれぞれ贈呈しあった。 シャルルはリエージュ司教領を手中に収めるための戦いの渦中にあり、結婚の1か月後にはブリュッセルを経てペロンヌへ向かった。マーガレットとの結婚、すなわちイングランドとの同盟と、リエージュ戦争(英語版)への対処は、公位継承したばかりのシャルルにとり重要な課題であった。 マーガレットとシャルルには子供がなかったが、マーガレットはすでに亡くなっていた先妻イザベル・ド・ブルボンの所生であるマリー(当時11歳)の良き母として努め、マリーもまた義母マーガレットを慕った。
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