円熟期とは? わかりやすく解説

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円熟期

読み方:えんじゅくき

円熟した時期のこと。特に、作家芸術家について、力量十分に発達し名声なども確立された後の、知識技術感性などが最も良く発揮される時期のことを指す。

円熟期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:28 UTC 版)

ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「円熟期」の解説

1890年代以降ルノワールは、「アングル風」時代冷たさなくなり珊瑚色の輝く色調で、女性温かい肉体描き出すようになった。肌のピンクがかった赤からバラの紫がかった赤まで、様々な赤で生き生きとした表現をしている。絵具表面は、かつての印象主義の時代のように大気微妙な効果伝えるものではなく生命イメージ作り出すものとなっている。1892年の『ピアノに寄る少女たち』は、その最初成果といえ、豊麗色彩によって、通俗的ではあるが平和で暖かな雰囲気描き第三共和政泰平を楽しむパリ市民の生活を映し出している。ルノワールは、「私の好きな絵画は、風景ならばその中を散歩したくなるような絵、裸婦ならばその胸や腰を愛撫したくなるような絵だ。」と語っているとおり、見る人を喜ばせるような絵を描き続けた20世紀入り、カーニュに住み始めてからは、伝統的な地中海文化への傾斜見られる19世紀後半プロヴァンス地方興った文学復興運動フェリブリージュ関わりがあるかもしれない指摘されている。 ルノワールは、1908年アメリカ画家ウォルター・パッチに対し次のように語っている。 私には何の規則方法もありません。〔中略〕私は、キャンバスの上で、その肉体生き生きと、打ち震えるように輝く色を見出さなければなりません。今では、全て説明するように求められますが、説明できてしまうような絵は、芸術ではありません。〔中略美術作品は、あなたを捉え、あなたをそれ自体にし、あなたを感動させるものでなければなりません。それは、芸術家情熱を表すための手なのです。それは、芸術家からほとばしり出て、あなたを彼の情熱へと誘う流れです。

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円熟期(1992年〜2014年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 03:30 UTC 版)

渡瀬恒彦」の記事における「円熟期(1992年2014年)」の解説

存命中本人の口から語られることはなかったが、ごく一部人間のみが知る事実として1994年脳梗塞起こした際、左手に軽い障害残ったといわれ、それが従来屈強な渡瀬イメージ併せ人間味溢れ類まれな存在感出てきたきっかけと見られる向きもある。脳梗塞きっかけで「最高の仕事をするために」煙草スッパリやめ、酒は適量なら血流にいいと言われる赤ワインだけにした。連日のように1時間歩き趣味カメラ道端の花を撮影していた姿が目撃されている。 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年)など話題作の映画にも出演していたが、1992年から主演続けてきた『十津川警部シリーズ』や『タクシードライバーの推理日誌』など次第テレビドラマへの出演本数多くなる2015年まで54放映された『十津川警部シリーズについて当時プロデューサー森下和清渡瀬を「役者ありながらスタッフでもあった」と話す。現場で演出仕切ることもあり、台本にもどんどん口を出したスタッフをかわいがる一方、手を抜く人に対して監督であっても言うことを聞かなかった。森下は「十津川を『自分根幹と言って大切にしていた。役というより、恒さんそのものだった」とコメントしている。 2002年からは渡瀬デビューした東映京都撮影所制作された「おみやさん」がスタート同作スタート10年目インタビュー応えている。その際長く渡瀬持ち役のひとつになった十津川警部」と比較して十津川相手反応は関係なく、直球投げる。おみやさん相手とのやりとりの中でカーブ投げられるんですね、優しいんだと思います』と人気秘密語ったスタート当初から撮影場所舞台京都だったが、2011年第8シリーズからはゲスト職業和傘職人桜守などより京都にこだわるようになり、京都をよく知る渡瀬脚本中にあった「ベージュ色」という台詞を「亜麻色」という言い回し変えるということもあった。 2007年度下期連続テレビ小説ちりとてちん』では、かつて「上方落語界の四天王」と呼ばれた徒然若を演じた当時日課散歩でも役作りのため落語聞いていたが、1時間くらいで拒否反応が出る苦労明かし自分落語とは程遠いところにおりました。しゃれとか、粋などとは無縁生き方しかできませんので。落語も全く知らず今は落語分かる気質”を演じることに七転八倒しています」と今まで演じたとがない役柄悪戦苦闘していたが、クランクアップには「自分にとってキツい仕事だったけど、この2、3日すごく気持ち解放されて、今では本当にやってよかった」と達成感得ている。 2006年からは『警視庁捜査一課9係シリーズスタート松本基弘プロデューサーによれば「『ER緊急救命室みたいな群像劇やってみたかった。『土曜ワイド劇場』ので『警視庁捜査一課強行七係』(2005年)を作った2時間ドラマでは群像劇にはならないことがわかったその時上層部から『相棒』やらない時期にやる新たな刑事ドラマ考えろと言われたので、七係の反省から『警視庁捜査一課9係』の企画出しました事件解決するだけではなくレギュラー刑事たちのプライベートも描く群像劇で、主人公が必ず中心になるわけではないある意味チャレンジ企画なんですいいですか?と尋ねたら、「おもしろそうだからいいよ」と。昼行灯みたいな係長加納太郎立ち位置をよく理解して企画乗ってくださいました」 9係まではリーダーシップあふれる刑事役が多かったが、「部下と距離を置き自分から捜査しないと思われ、人を使う」役柄9係が初。2006年スタート当初は「実はこんなに出番少なドラマは、今までないんですよ。戦場出ないでもいい勝ち方ってないのかな(笑)。やる限り勝たないとね。どうやってみんなに働いてもらうかな」と語っていたが、最終的に晩年では「代表作にしたい」と公言するほど、愛着の深い作品になった2009年当時インタビューでは「スタート当初からこれ映画にできる」と思うほど刑事たちキャラクター生き生き描かれ刑事たち個性だけでドラマができると9係絶賛その中で主演である自分は、「思い切ってキャラクターをぶつけあっている刑事たち見守る役割といい、「自分演技しないで人がやるのを見ているのは、俳優としてはエネルギーがいる」というやりがい明かした2009年から2014年までの新・9係シリーズは夏の放映で、収録時期渡瀬誕生日被っており、9係順調な視聴率あわせて出演者・スタッフから毎年盛大にお祝いしてもらっていた。渡瀬は「来るな、と思っていても嬉しいものですね」と喜んでいた。 9係と同じ水曜21刑事ドラマ放映されている人気『相棒』を「見なきゃいけないと思って見たことある。すごいなと思います」と意識していた。 スタート9年目当時印象深い出来事として羽田美智子が「以前みんなで飲んだ時、渡瀬さんが『1人でも欠けたら、この作品終わりにする』とおっしゃったんです」と語っていた。 2012年には『おみやさん』などの主演認められて、第20回橋田賞受賞。「褒められるとすごく元気が良くなります。僕は人が褒めるのが下手で、家でも仕事場でも人を褒めない。たまに褒めるのはだけ。これから褒めるようにしたい」とコメント残している。

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円熟期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 10:12 UTC 版)

ヨーゼフ・シュトラウス」の記事における「円熟期」の解説

かつて父ヨハン1世ランナーと「ワルツ合戦」を繰り広げたように、ヨーゼフも兄ヨハン2世激しく競った。しかしヨーゼフはもはや「ランナー後継者ではなくワルツシューベルト」と看做されるようになっていた。なお、1867年ヨーゼフワルツうわごと』(作品212)を発表した際、ヨハン2世ヨーゼフに兜を脱ぎ次のように言ったという。 「 ペピのほうが才能がある。私はただ人気があるだけだ。 」 作曲に関しては兄も認め才能の持ち主だったヨーゼフだが、一般的な注目度では父と同じ「ヨハン・シュトラウス」という名を受け継いでいる兄に劣った兄弟作品はしばしシュトラウスという名前でひとくくりにされ、ヨーゼフ作品であるにも関わらず楽譜表紙に「ヨハン・シュトラウス」と印字されることさえあった。 これに不満を抱いていたヨーゼフ真に兄と並び立つ存在であろうとし、生来病弱なであったにもかかわらず、無理を押して精力的な作曲活動行った例えば、1867年ヨーゼフ発表した作品数は、『マリアの調べ』(作品214)ほか25曲という驚異的な数字であった同年シュトラウス兄弟新曲は、兄ヨハンが6曲、弟エドゥアルトが8曲であり、ヨーゼフ突出して多い。1868年1月21日ワルツ天体の音楽』(作品235)を発表。この時期ヨーゼフストレス解消のためにレオポルトシュタットカフェ毎日のように夜明けまでカード遊びをし、葉巻を日に20本も吸っていたという。この頃過労のせいでヨーゼフは再び倒れた1869年2月1日ワルツ水彩画』(作品258)を初演した。それから6日後の2月7日にはワルツわが人生は愛と喜び』(作品263)を初演し、大喝采浴びた3月13日には『鍛冶屋のポルカ』(作品269)を発表立て続け傑作生み出すヨーゼフは、明らかに当時の兄にとって最大音楽的なライバルであったが、それにもかかわらず聴衆反応は兄とは違うものであることが多かった。兄とともにロシアパヴロフスクへ出かけた際にヨーゼフは、異常なほどの人気者である兄と比較されることを心配している。 「 私のここでの立場容易なものではない。先入主(=兄)にたいして戦わねばなりません。(ウィーン残してきた妻カロリーネ宛ての手紙、1869年4月16日付) 」 ちなみに有名なピツィカート・ポルカ』(作品番号なし)は、このロシア演奏旅行のときに兄と合作したのである。翌1870年2月17日には『ジョッキー・ポルカ』(作品278)を初演4月4日にはシューベルト交響曲思わせるワルツ宵の明星の軌道』(作品279)を初演し、これもまた聴衆大喝采得たヨーゼフは兄の名声には及ばぬものの作曲家として絶頂にあったが、それは死の前の最後の輝きともいえるものだった

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円熟期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 14:58 UTC 版)

シンプリー・レッド」の記事における「円熟期」の解説

バンド人気この年発表されアルバムスターズ英語版)』で頂点迎えた。『スターズ』は、アメリカでこそそれまでアルバムほどには成功しなかったものの、ヨーロッパおよびイギリスでは2年の間最も売れたアルバムとなったタイトル曲の「スターズ英語版)」はハックネルによる反サッチャリズム政治的な歌詞をラウンジ・ジャズに乗せた明らかに過去ファン層をつなぎ止めようという狙い内容であった。この曲は1995年の映画赤ちゃんにバンザイ!?』(Jack and Sarah) のサウンドトラックでも取り上げられた。日本でも、同曲がスバル・インプレッサCMソング使用された。 2年にわたる『スターズ』のプロモーションツアーの後、1995年ダンス・ミュージック影響が強いシングルフェアグラウンド」("Fairground") を発表。この曲はラジオ大ヒットとなり、バンドにとって初の全英ナンバーワン記録した。「フェアグラウンド」を収録したアルバムライフ』はイギリスだけで100万以上を売り上げこの年のアルバムセールス第4位に入った。この勢いは、カバー曲多く含んだ1998年の『ブルー』、1999年の『ラブ・アンド・ザ・ロシアン・ウィンター』と続いたその後は、スタイリスティックス「誓い」("You Make Me Feel Brand New") などのカバー曲オリジナル曲収録したホーム』を2003年発表したほかは、2000年の『ラヴ・ソング・コレクション』、2003年の『ヴェリー・ベスト・オブ・シンプリー・レッド』、そして主に過去ヒット曲を再アレンジして収録した2005年の『シンプリファイド』など、しばらくベストアルバムリリース続いた

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円熟期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:54 UTC 版)

クロード・ロラン」の記事における「円熟期」の解説

1627年ロランローマ戻り、グイード・ベンティボグリオの為に描いた二つ風景画によりウルバヌス8世パトロンにする。1637年頃からは急速に風景画家海景画としての名声高めていく。同じフランス人ニコラ・プッサンとも交友があり、カンパーニャ・ロマーナを共に旅している。二人共風景画家呼ばれているが、プッサン風景人物の背景である一方ロランの絵では人物片隅描かれるものの、絵の本当主題陸地、海、空である。他の画家人物の描画をしばしば依頼しており、その中にはジャック・クルトワフィリッポ・ラウリ含まれる。絵の購入者には、自分風景売った人物はおまけだと言っていた。 同じ主題繰り返し避け目的と、自分作品良質な複製提供するため、彼は各国送られ自分のほぼ全ての作品淡彩入りドローイング複製し裏面には購入者の名前記載したドローイングまとめて本を出し、この本をロランは『真実の書(Liber Veritatis)』と名づけた。この貴重な作品銅版画複製出版され、後の風景画家模範となる。痛風苦しんだ彼は、1682年11月21日もしくは23日亡くなり、トリニタ・アル・モンテ(Trinità al Monte)の頂に葬られた。彼の莫大な遺産は、甥と養子の娘(姪の可能性あり)に残された。

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円熟期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:20 UTC 版)

旭天鵬勝」の記事における「円熟期」の解説

2004年1月日本国籍取得申請し2005年5月12日モンゴル国籍を離脱同年6月22日旭天山と共に日本国籍取得してモンゴル出身力士としては初となる日本への帰化果たした2004年5月場所朝青龍つり出し勝利した三役復帰してたため金星にならなかったりもした。2006年1月にはモンゴル政府より、オリンピックメダリストなどに贈られるスポーツ功労賞受賞している。大相撲力士では、旭鷲山朝青龍続いて3人目受賞者となった同年5月23日には婚約発表した2006年7月場所には、当時現役力士では土佐ノ海並び史上1位となる幕内連続出場660回を記録したその後幕内連続出場続いたものの、2007年5月場所前に人身事故起こし出場停止処分受けてこの場所を全休関取となってから初の休場)し、現役力士では単独1位となっていた幕内連続出場記録720回で途切れた8年ぶりに十両陥落した7月場所では12勝3敗と大きく勝ち越して優勝決定戦まで進出し優勝決定戦では巴戦岩木山敗れたものの、翌9月場所に1場所で幕内復帰した。その9月場所では千秋楽まで白鵬優勝争い最終的に12勝3敗という好成績挙げて5回目敢闘賞受賞した2007年11月場所で旭天山引退して以降は、旭鷲山と共に来日した初のモンゴル出身力士6人の中で現役最後力士となった2009年1月場所では西前筆頭位置で9勝6敗と勝ち越し、翌3月場所において17場所ぶりに小結復帰した34歳5か月での三役昇進戦後では大関経験者除いて史上9位の年長記録となった同年7月場所にも小結昇進し34歳9か月16日での三役昇進戦後では大関経験者除いて史上6位の年長記録通算10回目三役昇進史上8位タイ記録となった2009年7月場所は東小結地位与えられたが、この時34歳9か月であり、この時点外国出身力士高齢三役昇進記録第2位記録達成

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