3月場所(春場所)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:46 UTC 版)
呼称については1月場所も参照。地元大阪を中心にほかの地方場所と同じく「大阪場所」の名称を使用することもあり、中継を行うメディアにおいてはAbemaTVが「大阪場所」を主に名称に使っている。 1973年に中学生力士が禁止されて以降、中学卒業見込みの入門者が多い関係で6場所の中で最も初土俵を踏む新弟子が多く、「就職場所」の異名がある。平成以降では1992年の151人が最多、2000年代に入ってからは100人を超えない年が続いている。 「荒れる春場所」と呼ばれ、番付上位が負けるいわゆる波乱の結果が多いとされる。 もともと大阪には大坂相撲の歴史があって相撲人気の根強い土地であり、毎年大いに盛り上がる場所である。 3代目朝潮がこの場所で強く1956年から3連覇するなど通算5回の優勝のうち4回を大阪で達成、「大阪太郎」と呼ばれた。他に北勝海が通算8回優勝のうち4回が大阪での優勝。 初の女性大阪府知事となった太田房江が在任中に幾度となく「大阪府知事賞の贈呈を自らの手で贈りたい」と土俵上は女人禁制と決めている協会と悶着を起こし、ファンや国民の間で議論を呼んだ。 2011年の開催は、力士の八百長メール問題の外部委員会調査に時間がかかることと、世論動向から不祥事による初の開催中止となった。 2014年は場所期間中に、大阪市長選挙が執行された(告示が初日、投票日が千秋楽と同じ)ため、「もう一つの春場所」とも言われ、(優勝力士に贈られる)市長賞が職務代行者によって贈られた。 2020年の開催は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため無観客で開催。本場所が一般公開されないのは戦時中に傷病軍人を招待して開かれた1945年6月の夏場所以来75年ぶりで、観客を一切入れない興業は初(テレビ中継があったので「完全非公開」ではない)。 2021年の開催は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、大阪での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となった。 名勝負 1960年千秋楽 横綱栃錦 - 横綱若乃花 史上初めて、全勝力士同士が千秋楽結びの一番で優勝を争う形になった。栃錦が無理にまわしをきりにいったところを若乃花が一気に寄り、自身初の全勝優勝。栃若最後の一番にもなった。 1967年14日目 大関北の冨士 - 横綱佐田の山 九重親方が北の冨士らを連れて独立し、出羽一門を破門されて迎えた最初の場所で、ここまで1敗の北の冨士が部屋の先輩だった佐田の山と初対戦。取り直しの末勝利した北の冨士は千秋楽も柏戸を破り初優勝、大鵬の7連覇を阻止した。 1968年4日目 横綱佐田の山 - 前頭4枚目高見山 ハワイ出身で入幕2場所目の高見山がここまで2連覇中の佐田の山を突き出しで破り初金星。佐田の山はこの2日後に突然現役を引退。 1969年2日目 横綱大鵬 - 前頭筆頭戸田 45連勝中だった大鵬を新鋭戸田が破り大金星を挙げるが、実際は戸田の右足が先に土俵を割っていた。この一番は「世紀の大誤審」と呼ばれ、のちに勝負判定にビデオを導入するきっかけとなった。 1975年千秋楽 横綱北の湖 - 大関貴ノ花(優勝決定戦) 本割で北の湖に敗れた貴ノ花が、決定戦では寄り切りで北の湖を破り初優勝。この時期の北の湖は優勝決定戦に弱く、同年の秋場所でも貴ノ花に敗れ、決定戦4連敗となった、 1978年7日目 大関旭國 - 前頭4枚目魁傑 水入り10分後、結びの一番の後に取り直しを行い、計11分に渡る熱戦の末魁傑が掬い投げで勝利。打ち出しは18時20分。魁傑は前日にも大関若三杉と水入りの一番を取っている。
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