難民
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日本の難民について
難民受け入れ問題
日本における難民認定者数は、諸外国と比べても著しく少ない[37][38][39]。
日本で難民認定を受けるには、申請者が自国の政府などから個人的に命を狙われ、生命や身体の自由が脅かされるなどの「迫害のおそれ」を証明する必要がある。この「迫害のおそれ」を証明し、日本で難民認定されるのは0.7%(2021年・難民支援協会調査)という狭き門となっている[37]。しかし自国で迫害され、強烈な虐待・拷問を受けた後に来日し、日本に長期間在住している人物でさえ難民認定が認められないなど、日本の難民認定は外国に比べて極めてな保守的な状態となっている[37]。
2010年代から、日本では難民認定を求める者が急増している。2005年に日本で難民認定を求める者は384人だったが2013年には3260人、2014年には5000人となった。日本では難民と認定する基準が厳しく、この5000人の申請者のうち難民として認定されたのは11人であった[40]。2017年には難民認定申請数が、前年比80%増の1万9629人となった。申請者の国籍は82カ国にわたり、主な国籍はフィリピン、ベトナム、スリランカ、インドネシア、ネパール。難民認定手続の結果、在留を認めた者は65人であった[41]。2018年の難民認定申請数は1万493人、難民認定者42人、在留を認めた者と合わせ104人であった[42]。
高等教育機関である複数の大学では難民を対象にした入学推薦制度を整備している。明治大学[43]、青山学院大学[44]、関西学院大学[45]などは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協定を結び難民の子弟の入学を進めている。
2020年の世論調査では難民受け入れについて「慎重に」が57%、「積極的に受け入れるべきである」と「どちらかといえば積極的に受け入れるべきである」の合計は24.0%であった[46]。
2024年3月26日の出入国在留管理庁の発表によれば、2023年の申請者は13,823人。認定者は303人(前年比101人増)で過去最多。国籍別ではアフガニスタン237人、ついでミャンマー27人、エチオピア6人、イエメン5人、中国5人、ウガンダ3人、トルコ3人など。難民の地位に関する条約による認定制度は1982年に始まり、2023年までの申請者は10万5487人、認定者は1420人[47][48][49]。
偽装難民問題
日本の難民認定制度への申請は、何度でも可能である。申請中は本国に強制送還されず在留資格を持てば就労も可能であることから、出稼ぎ目的で来日した「偽装難民」も存在する[40]。2010年からは難民申請から6カ月が経過すれば一律に仕事に就くことができる[50]。近年日本で難民認定の申請が急増しているのもこの「偽装難民」が原因の一つである指摘されている[51]。日本国内で難民を支援する弁護士グループや非政府組織は「偽装難民」の存在や問題を認識しつつも、制度の乱用対策よりも認定制度の改善を優先させてから「偽装難民」問題に取り組むべきとしている。法務省では極端に低い難民認定の基準を国際水準に高めるための議論が行われている[52]。2015年9月、法務省は難民の認定制度について「新しい形態の迫害」を認めることや認定に対して外部の有識者による「難民審査参与員」の意見を採り入れる事を決めた[53]。はお、実際に受入数を増やしたいとの思いで難民審査参与員を引き受けたとする吹浦忠正によれば、100人以上を担当した中で1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていないとされる[54]。2010年、難民申請をすれば、申請の6カ月後からフルタイムで労働に従事することが可能になったが、その結果、日本での労働を希望する者が「難民」として申請するケースが多く出ているとされる。結果として、法務省の難民受付の事務がパンクし、申請に多大な時間がかかるようになった。結果待ちは、偽装難民にはその分、結果が出るまで長期間の労働が可能となり好都合だが、本来の難民にとっては長期間待たされる状況になっている。遠山清彦(当時公明党議員)は、この規制緩和を「民主党政権の隠れた大失政」と批判している[55]。こうした問題から法務省は難民認定の運用を変更、難民になった理由が借金、正当な理由のない再申請者など明らかに難民とみなされない申請者に対して手続き中での就労及び在留の不許可となった[56][57]。
歴史
百済滅亡による難民
朝鮮半島において百済が滅亡した時には、数多くの百済人が事実上の難民として友好国であった日本に身を寄せた記録がある[58][59]。
ネーデルラント連邦共和国滅亡による難民
いくつかの例外を除いて外国との通商を断絶していた江戸時代の鎖国体制でも出島のオランダ商館にいたヘンドリック・ドゥーフなどが祖国のネーデルラント連邦共和国(オランダ)がフランスに滅亡させられたために一種の難民の状態となって日本に取り残された。
帝政ロシア滅亡による難民
ロシア革命による帝政ロシア滅亡、共産主義化(赤化)で、ロシアを追われた白系ロシア人やタタール人などの一部が満洲や樺太経由で日本に亡命してきた[60]。プロ野球選手のスタルヒン、実業家のフョドル・ドミトリエヴィチ・モロゾフやヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ、菓子職人マカロフ・ゴンチャロフなどがいる。
日本経由希望のユダヤ人難民
昭和期には、ドイツにナチス政権が誕生し大量のユダヤ人の難民が発生すると、日本の外務省は日本本土や中国大陸の日本支配地域である満洲国を経由してアメリカ合衆国などの国に亡命する「ユダヤ人の取り扱いを定めた規則」や「猶太人対策要綱」などを制定した。
1938年3月8日にユダヤ難民が満洲国のハルビン駅に殺到すると、ハルビン特務機関長の樋口季一郎(太平洋戦争/大東亜戦争開戦の翌1942年8月1日から北海道札幌市に司令部を置く北部軍司令官)は人道上の問題として独断で救援列車を手配し、ビザ(査証)の発給を指示した。このユダヤ難民脱出ルートは後に「ヒグチルート」と呼ばれ、救出されたユダヤ難民の数は2万人に上ったとされる。この2年後の1940年には、駐リトアニア日本大使であった杉原千畝が「命のビザ」を発給している。彼らは日本を経由し、アメリカ合衆国を中心に各希望居住地に移住した[61]。
ベトナム戦争による難民
1979年8月には、ベトナム戦争による「ベトナム難民第一号」としてルー・フィン・チャウが来日し大きく報道された。チャウはのちに日本で歌手デビューした。20世紀、インドシナ難民に対する国際貢献の必要性が契機となり1981年10月3日に日本は「難民の地位に関する条約」に、1982年1月1日には「難民の地位に関する議定書」にそれぞれ加盟し1982年1月1日両条約と議定書を発行した。そして、それまでの「出入国管理令」[注釈 15]に基き制定を大幅に改正・改定した「出入国管理及び難民認定法」(以下、入管難民法)によって難民の認定手続制度を規定している (外国人登録法を廃止)。入国管理当局の認定作業は当初より非公開かつ過酷であったが、1980年代後半にベトナムからの偽装難民が大量に流入するようになるとスクリーニング制度が導入され更に認定基準が引き上げられた。以降日本の難民認定手続が外国人である難民申請者側にとって複雑であるとされることや、法務大臣及び難民調査官[注釈 16]という法務省官吏のみが難民認定の権限を有することが人道的配慮に欠けるとして国際社会から批難されるようになると、これを受けて法務省は2002年6月から難民問題に関する専門部会を開催し[64]、2005年5月に入管難民法を改正して外部からの有識者や実務経験者などを難民認定手続に関与させる「難民審査参与員制度」を導入するとともに、日本入国後60日以内に難民申請を行わなければ入国管理局は当事者を違法滞在として強制退去させるとしていた、いわゆる「60日ルール」を廃止した。日本は国際連合に毎年多額の資金を提供しており、2017年から2019年にかけての拠出額は世界3位である[65]。
ミャンマー民族問題による難民
2009年7月に日本政府はミャンマー難民の第三国定住受け入れを表明し、翌2010年9月より3年間タイ西部のメラ・キャンプに避難しているカレン難民30名ずつ、計90名の受け入れをパイロット・ケースとして開始し国際貢献をアピールした[注釈 17]。ただし、日本のミャンマー難民の受け入れには、母国民主化への判断違いや民族問題に対する理解不足[69]があり、かつ難民の日本への移住希望者不在[70]や日本社会不適応性[71]といった問題がある。
注釈
- ^ 外務省はパンフレット「難民条約」を、「難民の地位に関する条約」と「難民の地位に関する議定書」に加入時に発行[8]、2004年3月[9]に増刷されている(A5判 68ページ)。改訂版は巻末に「難民の地位に関する条約」「難民の地位に関する議定書」のほか、参考資料として「条約及び議定書の締約国一覧」「条約と国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所規程との関係」が付属してある[10]。
- ^ 日本における法令番号は、「昭和56年条約第21号」。発効は、1982年1月1日。
- ^ ノン・ルフールマン原則:(避難民の)送致・送還の禁止の原則。
- ^ 緒方貞子は1991年から2000年の間、第8代国連難民高等弁務官を3期務め、「金の鳩賞」国際賞[20]を受賞。
- ^ 日本における法令番号は、「昭和57年条約第1号」。発効は、1982年1月1日。
- ^ 「出入国管理及び難民認定法」第2条第3号の2[21]において難民の用語が「第一条の規定又は難民の地位に関する議定書第一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう」と定義されており、当然に実運用も同一である[22]。
- ^ 災害難民は多くの場合、被災者が国内の別の地域に移動するため国内避難民と呼ばれることがある。
- ^ 避難民 (DP):Displaced Person。
- ^ 庇護申請者 (Asylum Seeker):UNHCRによれば、自国を追われ、他国で難民としての地位と保護を求める人々を言う。UNHCRが難民と認定した場合でも、第一次庇護国の政府が難民と認めない場合がある。
- ^ 国内避難民 (IDP):Internally Displaced Person) — 難民は、国境を越えて初めて認定される。しかし、UNHCRによれば「国内に留まりながらも故郷を追われ、難民と同じような境遇にある人々」が多数存在するとしている。
- ^ 避難先の国で、避難した同じ出身国の1000人以上の難民グループを対象としており、全世界の難民(同等に置かれている者も含む。)の約99%をカバーしている。
- ^ 伝統難民:難民条約の定義に該当する難民のこと。政治難民と同義。
- ^ 新難民:東西冷戦終結後、世界各地で顕在化した民族紛争を起因として生じる難民のこと。
- ^ マンデート難民:条約難民だけでなく、UNHCRが独自の解釈で認めた難民のこと (生命・身体の保全・自由に対する重大で無差別な脅威、なおかつ一般に広まる暴力や公的秩序に対する深刻な混乱から生じる脅威の理由によって、本国外におり本国に帰還できない国際的保護を要する者)。
- ^ ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和20年勅令第5412号)
- ^ 難民調査官の指名を受けるには[62]、「出入国管理及び難民認定法」(昭和26年政令第319号)第2条第11号、第12号及び第12号の2の規定に基づいて定められた「難民調査官を指定する訓令」第3項に従い(平成13年1月6日施行)、入国審査官であり行政職俸給(一)4級以上[63]とされている。
- ^ 初年度の2010年受入れは5家族27名として[66][67]、一行は体調不良の2家族9名を除いて予定の2010年9月28日に来日した。同2家族も遅れて2010年10月13日に到着[68]。
- ^ 1997年、当時の南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラは「アフリカ難民の日」(現「世界難民の日」)である6月20日にアフリカ各国に協力を訴え、難民や避難民が発生する紛争解決を呼びかけている。また同氏は2001年、ブルンジ内戦の平和的解決を進める課程でタンザニア西部の難民キャンプを訪れ、ブルンジ難民の声に耳を傾けた[80]。
出典
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