白旗神社 (藤沢市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 白旗神社 (藤沢市)の意味・解説 

白旗神社 (藤沢市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 14:43 UTC 版)

白旗神社

拝殿
所在地 神奈川県藤沢市藤沢二丁目4番7号
位置 北緯35度21分01.9秒 東経139度28分43.2秒 / 北緯35.350528度 東経139.478667度 / 35.350528; 139.478667 (白旗神社)座標: 北緯35度21分01.9秒 東経139度28分43.2秒 / 北緯35.350528度 東経139.478667度 / 35.350528; 139.478667 (白旗神社)
主祭神 寒川比古命源義経
社格村社
創建 不詳
本殿の様式 流権現造り[1]
別名 白旗さま
例祭 7月15日 - 21日
主な神事 湯立神楽10月28日
地図
白旗神社
白旗神社
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

白旗神社(しらはたじんじゃ)は神奈川県藤沢市にある神社。寒川比古命と源義経を主祭神として祀る。別名は白旗さま

概要

旧・藤沢宿。藤沢市の白旗交差点から国道467号(八王子街道)を北へ300メートル進んだ場所にある。白旗交差点のすぐそばには伝・源義経首洗井戸もある(北緯35度20分53.3秒 東経139度28分44秒 / 北緯35.348139度 東経139.47889度 / 35.348139; 139.47889 (伝源義経首洗井戸))。

祭神

主祭神
  • 寒川比古命(さむかわひこのみこと):相模国一宮寒川神社の祭神。
  • 源義経(みなもとのよしつね)
相殿神

歴史

創立年代は不詳。荘厳寺北緯35度20分49.8秒 東経139度28分48.3秒 / 北緯35.347167度 東経139.480083度 / 35.347167; 139.480083 (荘厳寺))を別当とした神社で、相模国一宮寒川神社の祭神を祀り、寒川神社と称していた。享保年間(1716年 - 1735年)に正一位に叙せられ坂戸町の総鎮守となる[2]元文年間(1736年-1741年)に荘厳寺が火災で消失し、延享4年(1747年)に神社の隣に移転してきた[3]宝暦2年(1752年)に社殿の再建、白旗神社と称するようになった。宝暦7年(1757年)神輿を江戸神田の神輿屋六兵衛が作る[2]1875年明治8年)荘厳寺が明治元年(1868年)に出された神仏分離令により移転。

伝承

文治5年(1189年)、4月30日奥州平泉衣川館で自害した義経の首級が鎌倉へ送られ、6月13日腰越首実検が行われた後、この神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承と共に伝・源義経首洗井戸や弁慶塚(北緯35度20分48.3秒 東経139度28分51.8秒 / 北緯35.346750度 東経139.481056度 / 35.346750; 139.481056 (弁慶塚 (藤沢市)))が残され、宝治3年(1249年)に源義経を合祀したとしている。

鎌倉大日記
鎌倉大日記によると「文治5年5月[注釈 1]13日首上鎌倉被埋藤澤」とある。
東海道名所記
東海道名所記によると藤沢より平塚六里十六町のくだりで、「よしつね弁慶がくび鎌倉に上せけるに。夜の間にふたつのくび此処に飛び来れり。里人これをミれば大なる亀の背中に乗りてこゑをいだしてわらひければ。かまくらへ此よしを申しつかハし。すなハち神にいはひて白旗明神と申すと。その前に弁慶の塚があり」としている[4]

白旗神社に関する文献は『東海道名所記』が初出となっている。

我が棲む里
「藤沢の河辺に金色なる亀、泥に染たる首を甲に負ひ、出たり、里人驚ろき怪しみけるほどに、側らにありける児童、忽ちに狂気のごとく肱を張、我ハ源の義経なり、薄命にして讒者の毒舌にかかり、身ハ奥州高舘の露と消るのみならず、首をさへ捨られて、怨魂やるかたなし、汝等、よきに弔らひくれよ、といひ終て倒れぬ、諸人恐れて、これを塚となせり」とある。

祭事・年中行事

(祭事・年中行事節の主要な出典[5][6]

文化財

藤沢市指定文化財

藤沢市指定文化財建造物
藤沢市指定有形民俗文化財
藤沢市指定無形民俗文化財
  • 湯立神楽(藤沢湯立神楽保存会)1996年3月1日指定

所在地情報

所在地
神奈川県藤沢市藤沢二丁目4番7号
交通

周辺

  • 社殿の真方角に源義経首塚跡および伝・源義経首洗井戸があり、その向こうに江島神社(旧・金亀山与願寺)が位置する。御伽草子の『御曹子島渡』(室町時代)では義経は鬼の大王の娘と結婚しているが実は江の島弁才天であった。江島神社に伝わる『江島弁才天縁起絵巻』(2巻、江戸時代)も義経を主人公とした『御曹子島渡』の系統の御伽草子となっている。
  • 社殿の南南東の方角に弁慶首塚・八王子権現跡(常光寺裏手)がある。
  • 社殿の南南西の方角には那須与一が創建したという伝承がある皇大神宮がありこの皇大神宮のあたりを奈須野と呼んでいた[8]

兼務神社

白旗神社の宮司が兼務する神社

  • 御霊神社 - 藤沢市羽鳥三丁目15番28号
  • 佐波神社 - 藤沢市石川139番地
  • 諏訪神社 - 藤沢市石川五丁目35番12号
  • 諏訪神社 - 藤沢市高倉2674番地
  • 日枝神社 - 藤沢市城南一丁目21番1号
  • 善行神社 - 藤沢市善行二丁目19番
  • 立石神社 - 藤沢市立石三丁目3182番

白旗神社を舞台とした作品

その他

  • 鳥居 - 1984年昭和59年)に建立された高さ8メートル、幅6メートルの鳥居、グラスファイバー製の鳥居では日本初と言われている[1]
  • 源義経鎮霊碑 - 1999年平成11年)建立。腰越で義経の首実検が行われた6月13日に首級を埋葬したと伝わる藤沢市と胴体を埋葬したと伝わる宮城県栗原市栗駒判官森御葬礼所の土を合祀した[1]
  • 毘沙門天 - 藤沢七福神
  • 白旗勘定 - 農村で勘定を1年にお盆暮れにしていたのを盆暮勘定と言うが、藤沢宿場時代に湘南地域の商業の中心になっていた白旗神社周辺の農村では白旗まつりの日を勘定日とし「白旗勘定」と言っていた[9]
  • 藤沢輪盛会記念碑 - 記念碑裏の碑文によると。1926年大正15年)7月建立。1916年(大正5年)境内東側の敷地を拡張、自転車競技場があった。

脚注

注釈

  1. ^ 吾妻鏡』では鎌倉に義経の首級が届くのは6月。
  2. ^ a b 新編相模国風土記稿高座郡 藤沢宿 白旗明神社のくだり、では例祭6月15日 - 21日(旧暦)、9月28日(旧暦)にも神事ありとなっている。

出典

  1. ^ a b c 神社をあるく- 白旗神社(公式サイト) - ウェイバックマシン(2016年6月18日アーカイブ分)
  2. ^ a b 小川泰二『我が棲む里』白旗明神社のくだり。
  3. ^ 『藤沢-わがまちのあゆみ-』1984年、増補版。303頁。
  4. ^ 東海道名所記』 - 国立国会図書館デジタルコレクション35 - 37コマ。
  5. ^ 年中行事”. 白旗神社. 2019年8月20日閲覧。
  6. ^ 白旗神社”. 神奈川県神社庁. 2019年8月20日閲覧。
  7. ^ 藤沢本町駅 から 相州藤沢 白旗神社”. Google マップ. 2019年5月7日閲覧。
  8. ^ 小川泰二『我が棲む里』神明宮森のくだり。
  9. ^ 白旗神社”. 神奈川県神社庁. 2015年8月8日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白旗神社 (藤沢市)」の関連用語

白旗神社 (藤沢市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白旗神社 (藤沢市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白旗神社 (藤沢市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS