ビルダーバーグ会議
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ビルダーバーグ会議の参加者
出席者のおよそ2/3が多国籍企業ないし多国籍金融機関の経営者、国際メディア、およそ1/3が各国の政治家と言われている。毎年、アメリカから30人、欧州各国から80人、国際機関(国連や国際通貨基金)などから10人とも言われている。また、著名な大企業であっても自薦では参加者を送ることが出来ないと言われている。CIAやNSAの長官、アメリカ軍統合参謀本部議長等が参加している。
ビルダーバーグ会議は、世界的影響力を持つ人物や企業、機関のエキスパートによる会議であり、そうした人物の少ない非欧米諸国からの出席者は少ない[注釈 6]。当初は、ヨーロッパと北米間の対話促進を会議の目的として開催されたが、グローバル化等を推し進めて行くに従い、多様な国やメンバーを招待するようになっていた[1]。欧米以外の地域からの参加者は、イラン、イラク、ニュージーランド、イスラエル、パキスタン、ベネズエラ等の国籍が確認されている。2011年のスイス・サンモリッツでの会議には中国から当時の外務次官傅瑩が参加した。また、2009年にアテネで開かれた会議には、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が参加した。
有力なIT企業関係者としては、Google会長のエリックシュミットや、ピーターティールらが毎年出席している。また学術関係では、オックスフォード大学の哲学者ニックボストロムや、アムステルダム大学の理論物理学者ロベルト・ダイクラーフの参加が確認されたこともある。
日本人や日本関係の招待は、天皇、皇族、政財界及び企業を含め、今まで一度も招待も確認もされていない。2009年にアテネで開かれた会議に、当時国際エネルギー機関事務局長を務めていた田中伸男が参加しているが、同機関の代表、エネルギー関係の参考人としての出席であり、日本の関係者や日本人としての参加ではない。
王族
- ベアトリクス女王 前オランダ女王 会議主催者
- クラウス・フォン・アムスベルク ベアトリクス女王王配
- ウィレム=アレクサンダー 現オランダ国王
- フアン・カルロス1世 前スペイン国王 (1989.2004)
- ソフィア・デ・グレシア 前スペイン王妃 (1989-1992.1996.2008-2011.2014)
- クリスティーナ スペイン王女
- カール16世グスタフ スウェーデン国王 (1995)
- アンリ・ド・ラボルド・ド・モンペザ デンマーク女王マルグレーテ2世王配 (1966)
- デンマーク王子アクセル (1955.1957)
関係者の出席が確認された企業、メディア
※以下個人名を控える
アメリカ
- アマゾン
- グーグル
- ファイザー
- マイクロソフト
- OpenAI
- フェイスブック
- ファイナンシャルタイムズ
- ペイパル
- パランティア
- スターバックス
- リンクドイン
- ワシントンポスト
- NBCニュース
- ワーナー ブラザーズ
ヨーロッパ
- アルコア
- エアバス
- ASML
- AXA
- BAE システムズ
- BPオイル
- BASF
- DeepMind
- ダイムラー
- ドイツテレコム
- グラクソスミスクライン
- HSBC
- メルク
- ノバルティス
- ネスレ
- ロイヤル・ダッチ・シェル
- フィアット・クライスラー
- シーメンス
- チューリッヒ保険
関係者の出席が確認された政府機関
アメリカ
ヨーロッパ
中国
- 中華人民共和国外交部(外務省)
関係者の出席が確認された金融機関、証券会社
- イングランド銀行
- スイス国立銀行
- ギリシャ国立銀行
- ドイツ銀行
- シティバンク
- BlackRock
- ゴールドマンサックス
- JPモルガン・チェース
関係者の出席が確認された学術機関、非営利組織
アメリカ
- ハーバード大学
- マサチューセッツ工科大学
- プリンストン高等研究所
- ハドソン研究所
- クーラント数学研究所
- スタンフォード大学 エネルギー科学工学
ヨーロッパ
- マックス・プランク知能システム研究所
- マックス・プランク感染生物学研究所
- ロンドン大学
- ピーターソン国際経済研究所
- オックスフォード大学
中国
- 北京大学
関係者の出席が確認された国際機関
注釈
- ^ 大戦後の欧州統合運動の提唱者であり、EU欧州統合運動(European Movement)、欧州評議会(The Council of Europe)の設立に尽力した。ジョゼフ・コンラッドの友人としても知られている。
- ^ ベアトリクス女王の父。1976年にロッキード事件に巻き込まれるまで、議長を務めた。
- ^ オーステルベークはマーケット・ガーデン作戦でも知られている。
- ^ ビルダーバーグ会議の名の元となった。
- ^ 第1回会議の直後、1954年8月30日にフランス議会はEDC条約の批准を否決し、欧州防衛共同体構想は実現しなかった。
- ^ David Rothkopf の著書Superclass - The Global Power Elite and the World They Are Making によると世界の60億人は6000人のエリート(The Superclass)によって統治されていると言う。世界経済フォーラムの「ダボス会議」の招待客は3000人超である。戦前のフランスでは「200家族(200家族資本)」がフランス経済を支配したと言われる。
- ^ 本来はアメリカ合衆国バージニア州ホットスプリングスのホームステッドで開催予定であった。
- ^ 1972年、デイヴィッド・ロックフェラーは日本の受け入れをオランダ王室に打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本をメンバーとする会議を創設することを提案した(「3極委員会 新たな転機」(春原剛)日本経済新聞 2008年1月21日)。西側の「大西洋同盟重視派」が反対したとも言われている(中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』 日本文芸社 2005年)。参考:日本国際交流センター 三極委員会(トライラテラル・コミッション)
- ^ 米国では1936年に社会保障番号が年金制度の加入資格を持つ市民に付けられた。欧州・アジアの諸国では、1940年代~1970年に住民登録番号や国民保険番号が住民登録制度に基づき全国民に付けられた。
- ^ ジェームス・P・タッカーはJim Tucker's Bilderberg Diary(『ジム・タッカーのビルダーバーグ日記』、日本語訳未刊)等の著者、ビルダーバーグ会議の取材で知られる記者、ライター。タッカーはヴィクター・ソーン(Victor Thorn)らと同じく「アメリカン・フリー・プレス」紙(American Free Press)に寄稿している。「アメリカン・フリー・プレス」はリバティ・ロビー(Liberty Lobby) の新聞「スポットライト」の後継紙。
出典
- ^ a b “BRIEF HISTORY”. 2017年1月8日閲覧。
- ^ List of Bilderberg participants
- ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日
- ^ 産経新聞朝刊 2003年6月22日
- ^ The most powerful elite will meet in Athens Grreporter.info - News from Greece
- ^ 2009年の会議、ウォールストリート・ジャーナルの記事 The Elite Gather in Greece for a Not-So-Secret Meeting
- ^ 2009年の会議、タイムズ(The Times)の記事 Shadowy Bilderberg group meet in Greece — and here’s their address
- ^ デイヴィッド・ロックフェラー(楡井浩一 訳) 『ロックフェラー回顧録』 新潮社 2007年、「盛田・ロックフェラー対談」 読売新聞 1991年12月3日朝刊及びデイヴィッド・ロックフェラー、盛田昭夫『21世紀に向けて』 読売新聞社 1992年 参考:世界を動かしたロックフェラー デイヴィッド・ロックフェラー『ロックフェラー回顧録』asahi.com 書評 ロックフェラー回顧録
- ^ (『ロックフェラー回顧録』新潮社 2007年)
- ^ 世界を操る影のサミット、ビルダーバーグ会議 ナショナル ジオグラフィック
- ^ アルデン・ハッチ 『オランダ王子 H・R・H・ベルンハルト』(1962)
- ^ 日米中協力―新たな三辺関係の模索
- ^ 園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年
- ^ 浜田和幸『ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」』 集英社インターナショナル 2004年
- ^ 『SAPIO』小学館 2004年12月08日
- ^ ネオコンは中道派の別働隊だった?
- ^ 人体埋め込みチップの一種VeriChipについての記事。体内埋め込みIC「VeriChip」、“知性の領域への侵食”は許されるのか究極のテロ対策!? 人体埋め込み医療チップ「VeriChip」でセキュリティ認証
- ^ Bilderberg 1996: A close call for thwarting a scheme to partition Canada
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