参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:44 UTC 版)
「ビルダーバーグ会議」の記事における「参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及」の解説
ビルダーバーグ会議は、前述の様に非公開の秘密会議なので参加者による会議についての発言や言及は極めて少ないが、何人かの参加者はインタビューや著書で会議について語っている。 デイヴィッド・ロックフェラーは自叙伝及び盛田昭夫との対談でビルダーバーグ会議について述べている。また、自著で「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―ただし、合意に達することはない。」 と述べている。 会議の創設に関わり後に財務大臣を務めるイギリス労働党のデニス・ヒーリーは会議について「世界統一政府の樹立にまい進していたというのは言い過ぎだが、あながち見当違いというわけでもない。われわれビルダーバーグ会議では、無益な戦いや殺し合いを永遠に続けて何百万もの難民を生み出すわけにはいかないと思っていた。それなら、全世界を一つのコミュニティにすればいいのではないかと考えたこともある」 アメリカ側で会議の創設に関り第一回の会議にも参加した、チャールズ・ダグラス・ジャクソン(英語版)(Charles Douglas Jackson)は、ファシズム化してきたアメリカの過熱する反共主義やマッカーシズムについて、第一回の会議の席上ヨーロッパ側からの相次ぐ懸念や説明を求められ、反共主義やマッカーシズムは、本来アメリカ的では無い上、アメリカにとっても立場を悪くし様々な方面での障害になっているとして次の様に発言した。 "Whether McCarthy dies by an assassin's bullet or is eliminated in the normal American way of getting rid of boils on body politics, I prophesy that by the time we hold our next meeting he will be gone from the American scene." (マッカーシーが、暗殺者の弾で死ぬにしろ、通常アメリカが不要物を取り除く方法によって処理されるにしろ、我々の次の会議が開催される時までには、彼がアメリカから消え去っていることを私は予言する) 事実マッカーシーは会議の直後失脚し1957年5月2日に死去した。死因は多年に渡る飲酒が原因の急性肝炎との事だった。
※この「参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及」の解説は、「ビルダーバーグ会議」の解説の一部です。
「参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及」を含む「ビルダーバーグ会議」の記事については、「ビルダーバーグ会議」の概要を参照ください。
- 参加者によるビルダーバーグ会議についての発言や言及のページへのリンク