イギリス連邦 歴史

イギリス連邦

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歴史

前史

19世紀には世界最大の帝国として覇を唱えていたイギリス帝国は、20世紀に入るとアメリカ合衆国ドイツの追い上げによって国力の優位は次第に小さなものとなっていった。こうした中で19世紀後半以降イギリス本国は世界各地の入植型植民地の権限を強化していき、特に白人が人口の多くを占める植民地に自治権を与え、自治領(ドミニオン)とするようになっていった。1867年イギリス領北アメリカ法によって3つのイギリスの北アメリカ植民地が連邦を組み、カナダとしてドミニオン化したのを皮切りに、1901年にはオーストラリア大陸の6植民地が連邦化してオーストラリア連邦が成立し、1907年にはニュージーランドニューファンドランドが、1910年には南アフリカの4植民地が合同して連邦化して南アフリカ連邦が成立した(現在の南アフリカ共和国の前身)。これらの自治領とイギリスとの間には1887年から協議機関として植民地会議が開催されていたが、1907年にはこれは帝国会議と改称され、帝国会議に出席できる自治領は植民地Colony)ではなくドミニオンDominion)と呼称するようになった。この動きの中で、1911年にはオーストラリアとカナダが独自の海軍創設を認められるなど(→オーストラリア海軍カナダ海軍)、自治領諸国は自立の動きを強めていった。

こうした動きは第一次世界大戦においてより強まった。この大戦には全てのドミニオン・植民地が参戦したが、オーストラリアで1916年徴兵制導入が拒否されたり[13]ボーア戦争以来反英感情のくすぶる南アフリカにおいては1914年ボーア人によるマリッツ反乱が起きるなど、各ドミニオンにおいてイギリスからの自立を目指す動きが活発化した。この動きが最も激しかったのはイギリス本国に組み込まれていたアイルランドであり、1919年にはついにアイルランド独立戦争が勃発し、1921年にはアイルランド自由国としてドミニオンの地位を獲得した。こうした中で各植民地の協力を得るためにイギリス本国はさらに融和的な姿勢を取るようになり、1917年には各ドミニオンの代表が参加した帝国戦時内閣が開催された。第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約1919年に締結された際には各ドミニオンの代表は出席を許され、国際連盟委任統治領としてオーストラリアがニューギニアを、南アフリカが南西アフリカを、ニュージーランドが西サモアをそれぞれ本国とは別に獲得し、連盟にもそれぞれ加盟を許された[14]。こうして、各ドミニオンは既に実質的には独立国と変わりないものとなっていった。

第一次世界大戦後にイギリスの国力退潮が鮮明となると帝国の支配体制は揺らぎはじめ、それに伴って各ドミニオンはさらに独立傾向を強めていき、1926年の帝国会議では特に反英感情に強かったアイルランド自由国アフリカーナー主体の南アフリカ連邦がついに帝国離脱を要求した。これを受けてイギリス本国と各ドミニオンとが対等であるとするバルフォア報告書が作成され、これを土台とした新しい帝国の在り方を規定する憲章が制定されることとなった。こうして制定されたのがウェストミンスター憲章である[15]

始まり

1944年のコモンウェルスの会議に出席したメンバー
(左から右: カナダのウィリアム・キング、南アフリカ連邦のヤン・スマッツ、イギリスのウィンストン・チャーチル、ニュージーランドのピーター・フレイザー、オーストラリアのジョン・カーティン)

1931年にイギリス議会におけるウェストミンスター憲章Statute of Westminster)において、イギリス国王に対する共通の忠誠によって結ばれた、それぞれが主権をもつ対等な独立国の自由な連合体と定義され、イギリス、アイルランド自由国(のちに脱退)、カナダニューファンドランド(のちにカナダの1州となる)、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦をメンバーとして発足した[16]。この時点では旧来のドミニオンの連合に過ぎず、白人自治領の連合体としての性格を持っていた。また、この時点においては旧来のイギリス帝国はいまだ存続しており、帝国とコモンウェルスが併存する体制を取っていた[15]

ブロック経済化とその崩壊

成立期はブロック経済としての側面を強める傾向にあった。1929年に始まった世界恐慌はコモンウェルスにも甚大な被害をもたらしており、こうした中でイギリスは従来取っていた自由貿易主義を放棄し、他国からの輸入に関税をかけた一方で、コモンウェルス内においては1932年のオタワ協定において相互に関税率を引き下げ、連邦内の貿易を促進する政策を取った。この関税は帝国特恵関税と呼ばれ、これによってポンド圏(スターリング・ブロック)が成立した[17]。ただし、経済的にアメリカと非常に強い関係にあったカナダはこのブロックには加入していなかった[18]。逆にイギリスと非常に強い経済関係にあったアルゼンチンはこのブロックに加入する[19]など、コモンウェルスとスターリング・ブロックの範囲は完全に一致していたわけではない。この帝国特恵関税およびスターリング・ブロックは第二次世界大戦中に崩壊し[20]、以後コモンウェルスが経済ブロック化することはなかった。

非同君連合化

第二次世界大戦後、1947年インドおよびパキスタンが独立したことで(インド・パキスタン分離独立)、白人連合としての性格が消滅した。さらにこの独立の際にインドは近日中に制定される予定の憲法において共和制を取ることを表明し、なおかつその後もコモンウェルスにとどまることを希望した。この要望は受け入れられ、1950年にインドが共和制をとった後も残留を認めたために、以後「イギリス国王に対する共通の忠誠」は連合体の必要条件から除外されることとなり、同君連合以外の国家も連邦参加が可能となった[21]。こうして、同君連合である英連邦王国とコモンウェルスが制度的に分離した。これにより、政治体制にかかわらずイギリスから新たに独立した国家がコモンウェルスに留まることが可能になり、以後の拡大をもたらすこととなった[22]。一方で、1947年には当時まだ形式上は同君連合である印パ両国が第一次印パ戦争に至るなど、連邦や同君連合の拘束力の形骸化も顕わとなった。1949年には、従来の加盟国の中で最も反英的だったアイルランドが脱退した[23]

独立主権国家連合

戦後のイギリスは海上覇権をほぼ喪失した形となり、1940年代から1950年代にはアジア諸国が次々とイギリスから独立した。1956年に起きたスエズ動乱において、エジプトに軍事介入したイギリスの行動はコモンウェルス内でほとんど支持を得ることができず、さらに戦後の超大国であるアメリカとソ連の反対によって軍事介入自体が失敗に終わった。これによりイギリスの軍事的威信は失墜し、脱植民地化の流れはとどめようのないものとなっていった[24]。イギリスも植民地を独立させたうえでコモンウェルスにとどめて影響力を維持する戦略へと転換し、1960年代にはアフリカ諸国が次々とイギリスから独立した。こうした新独立国のほとんどはコモンウェルスにとどまった。

一方で1961年には創設時からの加盟国であった南アフリカ共和国が脱退した。南アフリカは1961年国民投票を行ってイギリス連邦王国から共和制を取ることとなったが、共和制でも加盟はできるため、南アフリカ政府は当初は脱退する意向は持っていなかった。しかしいまや有色人種の国が多数を占めるコモンウェルスにおいて南アフリカのアパルトヘイト政策への批判が噴出し、これで態度を硬化させた南アフリカが脱退を通告した[25]

こうした流れは1964年に起きたローデシア問題においてよりいっそう明確なものとなった。1923年以降広範な自治権をもっていた南ローデシアはコモンウェルスの準加盟国に近い立場にあったが、その後身であるローデシア・ニヤサランド連邦1963年に解体し、そこから独立したマラウイザンビアが加盟すると、いまだ人種差別主義を取る南ローデシアの完全独立および加盟が焦点となった。コモンウェルス加盟国のほとんどは南ローデシアに対して強硬な姿勢を取り、人種差別が撤廃されない限り独立およびコモンウェルス加盟を認めない立場を取ったため、宗主国であるイギリスもこれを考慮せざるを得なくなった。これに南ローデシア政府は反発し、1965年にはローデシア共和国として一方的に独立を宣言した。この対立は、1980年にローデシアが崩壊し黒人国家であるジンバブエ共和国がコモンウェルスに加盟するまで続いた。

また同じく創設時からの加盟国であるカナダオーストラリアニュージーランドが軍事および経済においてアメリカ合衆国に依存するようになる一方、新独立国の経済規模は当時まだ大きくなかった。こうした流れの中で、イギリス本国もコモンウェルスよりも、統一化の進むヨーロッパ大陸を志向するようになり、1961年には保守党ハロルド・マクミラン政権のもとで欧州経済共同体(EEC)加盟を申請した。この申請はフランスシャルル・ド・ゴールに拒否されて実現しなかったものの、結局1973年エドワード・ヒース政権のもとでEEC加盟は実現し、イギリスはコモンウェルスからヨーロッパへと重心を移すこととなった。

事務局創設と首相会議の持ち回り化

ロンドンのパーラメント・スクエアに掲げられたコモンウェルス加盟国の国旗
オタワのカナダ国会議事堂に掲げられたコモンウェルスの旗

創設時のコモンウェルスにおける事務は1926年に植民地省から分離独立したイギリス政府内の自治領省が担っていた。自治領省は1947年にコモンウェルス省に改名され、その後も事務を担っていたが、イギリス領植民地の急速な独立とそれによる加盟国の急増によってイギリスの地位は低下し、ガーナクワメ・エンクルマなどによってイギリス政府からの事務の独立が要求されることになった。こうして1965年にコモンウェルスの独立事務局が創設され、コモンウェルスはイギリス政府から独立した機構となった[26]。さらにそれまでロンドンにおいて行われていたコモンウェルスの首相会議が1966年にはナイジェリアラゴスにおいて開催された。1971年には首相会議がシンガポールで行われ、これ以降会議はイギリス本国での開催から加盟国間における持ち回りでの開催となった[27]

1971年に発せられたシンガポール宣言において、コモンウェルスは「民族の共通の利益の中で、また国際的な理解と世界平和の促進の中で、協議し、協力する自発的な独立の主権国の組織である(コモンウェルス原則の宣言前文)」と再定義され、ゆるやかな独立主権国家の連合となった(連邦国家ではない)。1970年代から1980年代には残されたイギリス植民地のほとんどが独立し、コモンウェルス加盟国となった。1994年にはアパルトヘイトを撤廃した南アフリカが再加盟した。

1995年に旧イギリス領または旧ドミニオン諸国領以外の初の加盟国としてモザンビーク(旧ポルトガル領)の加盟が承認され、コモンウェルスは旧イギリス領以外にも加盟国の範囲を広げることとなった。さらに、ルワンダ紛争による新政権樹立を経て親フランスから親イギリスへと外交方針を転換したルワンダ(旧ドイツ帝国領→ベルギー委任信託統治領)が2009年に加盟した。この前年にルワンダは、ルワンダ語フランス語に加えて新たに英語を公用語としている。2022年には旧フランス領のガボントーゴが加盟した[28]。背景にはイギリスの欧州連合離脱に伴う両国関係の再構築と、旧フランス領諸国のフランス離れがあるという[29]


注釈

  1. ^ マレーシアブルネイトンガレソトエスワティニの5ヶ国。
  2. ^ ロンドン宣言英語版に基づく。
  3. ^ 1965年8月9日から有効。

出典

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