前震
巨大地震において、最も規模の大きな「本震」が発生する前に、前兆的に発生する場合があるとされる地震。「予震」とも言うが、「余震」と区別する場合に前震の呼称を用いる。
ある程度、規模の大きな地震は、最大規模の揺れを示す「本震」の前後に、相対的に小さな規模の地震を伴うことが多い。最初に本震が発生し、余震を伴うタイプの地震を「本震・余震型地震」といい、本震の前に相対的に規模の小さな地震が発生するタイプのものを「前震・本震・余震型地震」という。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、本震から2日ほど前にマグニチュード7クラスの地震が観測されており、本震の前震に当たると見られている。
前震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/10/04 17:46 UTC 版)
前震(ぜんしん、英: foreshock)とは、特定の時間と地域でばらつきと群れをなして発生する一連の地震活動において、発生した最も大きな地震を本震とした際に、本震に先だって起こっていた地震のことである[1][2]。定義は明確なものではない[1][3]。
現在の科学技術では活動の最中に前震か本震かは判断できず[4][5]、地震活動が終わるまでは分からない[5]。また2016年の熊本地震に象徴されるような、より大きな後続の地震が発生するのか否かも、現在の科学技術では予測できない[5]。
地震活動の中の前震の位置づけ
地震は時間的・空間的にばらつきとかたまり(群れ)をなして発生する。この一連の地震の群れを地震の群や地震系列ともいう。その活動の中で、際立って大きいものが「本震」であり、その前に起こったものが「前震」として見いだされる[1][6][2]。
多くの地震では、突然発生する最も大きな規模の本震の後、それより規模の小さな余震が生じる「本震-余震型」の推移を経る。これに加えて前震がある「前震-本震-余震型」、本震と呼べるような地震がない「群発地震型」の3タイプがよく使用されるが、その境界線をはっきりと引けるわけではない[7][6]。
本震から時間的・空間的にどのくらい離れた地震まで前震とみなすかは、はっきりとした基準があるわけではなく、研究者によって多少違うことがある。本震の直前、数時間前の地震から、数ヶ月前の地震まで前震とすることがある[3]。何年も前の地震を「広義の前震」と呼んで含めることもある[3][注釈 1]。
数分前の地震もあり、もっと近接して起こることもある。間隔があまりに短いと、本震の一部、すなわちマルチプルショック(複合地震)における破壊(サブイベント)のひとつとみなされる。大きな地震では1分くらい間隔があると別の地震として認識されるようになる[3][8]。
規模の大きな「前震」と後続の地震
実際の前震の規模は大小さまざまで、はじめは本震とみなされるほど大きな場合もある。また、全ての大地震で先行して前震が発生するとは限らない。前震の性質には地域差が認められることがある[5][7]。
例えば、2011年3月9日にはマグニチュード(M)7.3(最大震度5弱)の三陸沖の地震が発生し、その2日後にMw9.0の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした)が発生したことで、3月9日の地震は前震とみなされるようになった。この事例は、2022年12月に始まった「北海道・三陸沖後発地震注意情報」制度の創設のきっかけのひとつとなった[9]。また、2019年5月に創設された「南海トラフ地震臨時情報」の注意喚起対象である後発地震の統計根拠となった過去事例でもある[10]。
2026年の日本の内閣府の資料では、世界の過去約100年間のMw7.0以上の地震1,529事例のうち、1週間以内にMw7.8以上の後発地震が発生したものは19事例、およそ100回に1回程度ある[注釈 2]。前記の2011年3月9日の地震は、この19事例のひとつである。発生後1週間は、後発地震の発生確率が平常時の10倍程度に高まることを示している[10]。
2016年の熊本地震では、最初の大きな地震がM6.5(最大震度7)であったが、気象庁はこれを本震とみなして余震の発生確率見通しなどの発表を行った。その28時間後により大きな地震であるM7.3(最大震度7)の地震が発生すると、最初の大きな地震は前震とみなされるようになった[11][12]。
2016年の熊本地震の教訓から気象庁はそれ以降、大地震後の防災上の呼びかけの中では、その大地震が前震活動である可能性を考慮して「余震」の使用を避けている。発生後1週間は最初の地震と「同程度の地震」、場合によっては「より大きな地震」に注意するよう呼びかけ、1週間後からは発生確率が普段よりどれくらい高まっているのかを発表する[11][13]。
主な前震の事例
- 1891年の濃尾地震(Mj8.0)で、本震の3日前の10月25日に揖斐川下流域でM6.0の地震が観測されたが、この地震も前震であった可能性がある。
- 1960年のチリ地震(Mw9.5)では、本震の約33時間前にM8.2、約9時間前にM7.1とM6.8、約15分前にM7.9の前震が発生していた。
- 1995年に発生した兵庫県南部地震(Mj7.3)では、顕著な地震活動が少なかった明石海峡で本震前日に規模が小さい前震が4回観測された。約11時間前にM3.6、続けてM1 - 2クラスの地震が発生している[14][15]、これは本震発生後に前震と判定されたものである。これ以外にも、前年11月9日から年明けごろまで猪名川町付近の深さ約5 kmで最大M4に達する群発地震が発生した。有感となったものが多かったため不安を訴える地元住民も出る事態となっていた。猪名川町付近ではその前の7月末にも深さ約10 kmで無感の群発地震が発生していた。本震後の分析の中で、これを前駆的な地震活動と捉える研究者もいた[14][15]。
- 2003年の宮城県北部地震(Mj6.4)では、本震の7時間前に震度6弱の地震が観測されたが、この地震も前震だった。前震がM5を超えた地震はほかに2008年5月8日の茨城県沖地震(M6.4)や2010年3月13日の福島沖地震(M5.5)が挙げられる。
- 2011年の東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)では発生2日前の3月9日からM7.3(震度5弱)を皮切りにして地震が多数観測されたが、後にこれらは前震であった可能性があると発表された。Mw9.0の本震が発生するまではM7.3の地震を本震、それ以後の地震は余震と判断されていた(詳細記事)。
- 2013年のソロモン諸島沖地震(Mw8.0)では、本震の約2週間前からM6.0以上の地震が7回、M5.0-5.9の地震が16回発生するなど震源周辺で顕著に地震活動が活発化していた。また、この地震活動では本震と同じプレート境界型の地震が活発化していたほか、正断層・横ずれ断層の内陸の震源の浅い地震も同時期に活発化していた。
- 2022年の福島県沖地震(Mw7.3)では、本震の2分前に福島県沖の深さ57kmを震源とするM6.1の地震が発生し、宮城県石巻市と福島県相馬市で震度5弱を観測した。このM6.1の地震が本震を誘発した可能性がある。
- 2024年の能登半島地震(Mj7.6)では、本震の約4分前の16:06ごろに深さ約10km付近を震源とするM5.7の地震が発生し、石川県珠洲市で震度5強を観測した。その後本震の約10秒前にも石川県能登地方と能登半島沖を震源とするそれぞれM5.9とM不明の地震が発生している。
1945年三河地震
1945年の三河地震(Mj6.8)では、1月13日3:38の本震に先駆けて、1月7日未明ごろから小地震が始まった。1月7日に小地震が感じられたのは西浦町(現・蒲郡市の一部)で、1月11日には形原町(現・蒲郡市の一部)でも感じられた。1月11日にはM5.7およびM5.6の地震も起こり、有感地震が5回・無感地震[注釈 3]が5回(M4以上の地震が8回)、1月12日には無感地震が2回起こっていた[16][17][18]。なお、三河地震の37日前の1944年12月7日には東南海地震が起こっており、愛知県東部でも大きく揺れ家屋の倒壊などの被害が生じていた[16]。
当時の地震観測網では検知できなかった小地震が多数発生したこともあり、1月11日の地震で震度4-5程度あったと推定される震源に近い形原町付近では、大きな地震が来るかもしれないと、外の空き地に仮小屋などを作って寝泊まりしたり、揺れたらすぐに外に出られるようにと2階ではなく1階で寝たりした、という記録がある。しかし、12日夜には地震が収まっていたため家に戻って床に就き、結果的に家屋倒壊に巻き込まれた事例もあった[16]。
ただ、このように事前避難が行われたのは前震で強く揺れた形原町付近だけで、本震の被害が大きかったほかの地域にまでは広まらなかった[16]。また、形原町内でも町役場や警察署では、前震の揺れを地震ではなく大砲の地鳴りなどと捉えていたという[18]。
2016年熊本地震
2016年の熊本地震では、4月14日21:26(「本震」の28時間前)にMj6.5(震度7)の地震、その後もM6.4(震度6強)などの地震が起こった後、4月16日1:25にMj7.3の地震が起きた。そのため、結果的に4月14日のM6.5の地震は「前震」、4月16日のM7.3の地震は「本震」とされた[12][19]。
4月14日のM6.5の地震の後、自宅を離れて避難所へ、また屋外や自動車内(車中泊)などに避難して過ごした者が多くいたが、4月16日のM7.3の地震の際には一部が自宅に戻るなどしていた状況であった[19]。地震による死者の犠牲となった要因などを調査した文献によれば、この時点で分かっていた本震による直接の死者は41人である。14日夜に避難していたが、15日夜には自宅に戻って犠牲となった可能性が高い者が13人いる。一方、14日夜に避難をしていなかった可能性が高い犠牲者は8人で、残りは14日夜の避難状況が判明していない。14日夜に避難をしていなかった8人のうち4人は、14日夜の時点では熊本県外にいて、15日夜までに被災地域に入って犠牲となった。このほか、14日の地震後に避難のため自宅敷地内の納屋で過ごしており、その納屋が倒壊して犠牲となった者も1人いた[19]。
前震と地震予知
前震を識別して地震予知を行うための方法は確立されていない。普遍的な法則性を導くことが難しいことなどが、理由に挙げられる[20]。
前震を捉えることによって、規模の大きな本震の予知につながるのではないかという指摘は大正時代からあったが、前震から本震発生の予知に成功した例はないとされている。それは、科学的に前震と判断するためには数日から10日程度の活動を解析する必要があるからで、とある地震活動が本震なのかを判断するためには、余震数の減衰と分布を立体的に捉える必要がある[7]。
余震数の減衰については、「改良大森公式」(大森・宇津公式)と呼ばれる統計的な時系列モデルと、グーテンベルグ・リヒターの式が利用される[21][4]。
また、地震活動の減衰率が非常に低くても、前震ではなく群発地震の可能性もある[4]。現在の科学ではこの群発地震と前震を明確に判断する技術はなく、前震の存在は本震後に判断される[4]。
海城地震の特殊な「成功」例
1975年に2月4日夜に中国で発生した海城地震では、特殊な環境と偶然により、地震予知が結果的には「成功」したとされる。活発に起こった前震を主な根拠として行政が当日朝に警報を出し、事前に建物から屋外への避難が行われたことで死傷者数が少なく済んだ。背景には、統制的な政治体制下で、根拠に明確さをもたないが宏観異常現象を含む「前兆」を報告・観測する体制があった。前年11月頃から地盤測量の変化や生物の異常行動が報告され、2月1日から前震が始まり、2月3日には1時間に20回に達するほど増加した。前日から当日は、地鳴りを伴った地震が続いて眠れなかった住民もいたほどであったが、その後静穏化がみられ、地震を恐れた住民が自主的に避難する動きもあった[22][23][24]。
海城地震の予知では、場所の絞り込みなどの根拠や法則は明確ではなく、活発な前震のおかげで警報が出され避難が行われたと評価されている。そして、これは特殊な事例であり、ほかの地震に普遍的に適用できるものではないとされている。実際1年半後に発生した唐山地震では、前震がなく警報は出されないまま、20万人以上の犠牲者を出すに至った[22]。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 明田川 & 福満 2010.
- 1 2 宇津 2001, p. 10.
- 1 2 3 4 5 山科 2001, pp. 174–175.
- 1 2 3 4 宇津 1978.
- 1 2 3 4 “大地震後の地震活動(余震等)に関する基礎知識”. 知識・解説. 気象庁. 2026年8月31日閲覧。
- 1 2 宇津 1999, pp. 11–12.
- 1 2 3 井元 2002.
- ↑ 宇津 1999, pp. 287–288.
- ↑ “三陸沖M7.7の地震で「後発地震注意情報」 1週間、巨大地震に警戒”. サイエンスポータル. 科学技術振興機構 (2026年4月21日). 2026年8月31日閲覧。
- 1 2 “「南海トラフ地震に関連する情報」について”. 知識・解説. 気象庁. 2026年8月31日閲覧。
- 1 2 気象百五十年史 本編 2025, pp. 595–596.
- 1 2 “16日未明の震度6強が「本震」 気象庁、14日は前震”. 日本経済新聞. 2016年4月16日. 2016年4月16日閲覧.
- ↑ 地震調査委員会 2016, pp. 10, 18, 55–58.
- 1 2 安藤雅孝 著「§ 3.1.兵庫県南部地震の前震・本震・余震・誘発地震」、地盤工学会阪神大震災調査委員会 編『阪神・淡路大震災調査報告書 : 解説編』地盤工学会、1996年3月、101-107頁。全国書誌番号: 96051843。
- 1 2 橋本学「兵庫県南部地震の概要」『国土地理院時報』第83巻、国土地理院、1995年、 CRID 1520853834174352384。
- 1 2 3 4 5 災害教訓の継承に関する専門調査会 2011a, pp. 49–54 林能成 著
- ↑ 廣野卓藏、本間正作、岩井保彦、野依一郎、關口宇一郎「昭和20年1月13日三河烈震地域踏査報告」『験震時報』第15巻第3-4号、気象庁、1951年6月、12-25頁。
- 1 2 井上宇胤「昭和20年1月13日の三河地震について」『験震時報』第14巻第3-4号、気象庁、1950年3月、49-55頁。
- 1 2 3 牛山素行、横幕早季、杉村晃一「平成28年熊本地震による人的被害の特徴」『自然災害科学』第35巻第3号、日本自然災害学会、2016年、203-215頁、 CRID 1050282813846361984。
- ↑ 片尾浩、飯尾能久「7-19 兵庫県南部地震の前震波形の特異性について」(pdf)『地震予知連絡会会報』第54巻、620-623頁、 CRID 1573105974287978240。
- ↑ 山科 2001, pp. 511–513.
- 1 2 力武 2001, pp. 325–327.
- ↑ 谌旭彬 (2013年4月26日). “海城地震世界首次成功预报真相(世界初の成功した地震予知、海城地震の真相)” (中国語). 腾讯网 今日话题历史版. 2013年10月18日閲覧。
- ↑ 孙滔(中国新闻网) (2013年3月26日). “海城地震预报:难以传承的“经验”(海城地震の予知:継承し難い「経験」)” (中国語). 腾讯网. 2013年10月18日閲覧。
参考文献
- 宇津徳治『地震活動総説』東京大学出版会〈1〉、1999年12月。 ISBN 4-13-060728-6。
- 力武常次『地震予知 発展と展望』日本専門図書出版、2001年1月。 ISBN 4-931507-01-8。
- 宇津徳治 ほか 編『地震の事典』朝倉書店〈2〉、2001年7月。
ISBN 4-254-16039-9。
- 宇津徳治「§ 1.地震の概観」、1-17頁。
- 山科健一郎「§ 5.地震活動の性質、§ 9.4.前兆的地震活動と余震の予測」、164-220,500-516頁。
- 気象庁『大地震後の地震活動の見通しに関する情報のあり方 報告書』地震調査委員会、2016年8月。
- 気象庁『気象百五十年史 本編』気象庁、2025年6月。全国書誌番号: 24141876、NDLJP:14564657。
- 宇津徳治「前震と群発地震の識別に関する一調査」『地震 第2輯』第31巻第2号、1978年、129-135頁、 doi:10.4294/zisin1948.31.2_129。
- 井元政二郎「前震活動に基づく中規模地震の発生確率」『地震 第2輯』第55巻第2号、2002年、223-227頁、 doi:10.4294/zisin1948.55.2_223。
- 明田川保、福満修一郎「震度5弱を観測するなどの顕著な地震が前震であった事例について」(pdf)『験震時報』第74巻、2010年、17-28頁、 CRID 1521136279831061504。
- 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会 編『災害史に学ぶ 内陸直下型地震編』内閣府、2011年3月。
関連項目
外部リンク
- 地震の基礎知識とその観測 7.1 本震と余震 防災科学技術研究所
- 茂木清夫、「Some Discussions on Aftershocks, Foreshocks and Earthquake Swarms : the Fracture of a Semi-infinite Body Caused by an Inner Stress Origin and Its Relation to the Earthquake Phenomena (Third Paper) / 余震,前震,群発地震の起こりかた : 半無限体の内部力源による破壊およびそれに関連した地震発生のニ,三の問題(第3報) 」 『東京大學地震研究所彙報』 1963年 41巻 3号 p.615-658, hdl:2261/12129, ISSN 0040-8972、
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